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千島艦事件 ちしまかんじけん

世界大百科事典 第2版の解説

ちしまかんじけん【千島艦事件】

明治時代の日本軍艦の沈没補償をめぐる日英間の紛争事件。1892年11月,水雷砲艦千島(750トン)がフランスから回航中,瀬戸内海で英船ラベンナ号と衝突沈没し,乗員74名が殉職した。日本政府は英船に過失があったとして,その所属したP & O汽船会社を相手どって横浜のイギリス領事法廷に出訴したが,互いに判決を不服とし,上海のイギリス領事法廷,イギリス上院に上訴を繰り返して結局3年の歳月と12万余円の費用をかけたのち,和解が成立。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

千島艦事件
ちしまかんじけん

明治中期に起こった日本軍艦の沈没補償をめぐる日英両国間での係争事件。1892年(明治25)11月30日、フランスで建造されて神戸へ回航中の水雷砲艦千島が、愛媛県堀江沖でイギリスの汽船ラベンナ号Ravennaと衝突、沈没し乗組員74名が死亡する事件が起こった。日本政府はラベンナ号に不当航海の過失があったとして翌年5月その所属会社P&O(ピーアンドオー)汽船会社を相手どり85万円の損害賠償を要求、横浜のイギリス領事法廷に出訴した。それに対し会社側は逆に10万円の損害賠償を求めて反訴した。第一審は会社側の要求を不当として反訴を却下したため、会社側は上海(シャンハイ)の領事法廷に控訴、93年10月裁判長は第一審判決を破棄し会社側を支持した。そのため日本の世論はその不当性と日本政府の処置を非難して激高。反政府諸派は議会内外でこれを利用し、第二次伊藤博文(ひろぶみ)内閣が推進する条約改正交渉に反対する対外硬運動を展開、12月に衆議院は解散となった。日本政府はさらにロンドンのイギリス枢密院に上告、95年7月枢密院が上海領事法廷の判決を破棄し横浜の領事判決を復活、本訴はふたたび横浜領事庁で開かれることになった。ようやく9月に至り和解が成立し、会社が訴訟費用のほか、英貨1万ポンド(邦貨9万余円)を支払って事件は落着した。[宇野俊一]
『福良虎雄編『千島艦事件』(『明治文化全集 第六巻 外交篇』所収・1928・日本評論社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

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