千道安(読み)センドウアン

デジタル大辞泉 「千道安」の意味・読み・例文・類語

せん‐どうあん〔‐ダウアン〕【千道安】

[1546~1607]桃山時代の茶匠。初名は紹安。号は可休斎利休長男。利休とともに豊臣秀吉に仕えたが、利休死後、弟少庵がその後を継ぎ、不遇に終わったという。茶室道具茶事などに独自の工夫を凝らしたといわれ、道安囲い道安風炉などにその名が残る。

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改訂新版 世界大百科事典 「千道安」の意味・わかりやすい解説

千道安 (せんのどうあん)
生没年:1546-1607(天文15-慶長12)

安土桃山時代の茶人。利休の長男。初名は紹安。号は可休斎,のち眠翁義弟の少庵と同年であり,その茶風は〈柔の少庵〉と比して〈剛の道安〉と評された。茶法を父利休に学び,その技量は利休を感嘆させるほどであったが,ついに利休のあと千家第2世を継ぐこともなく,先妻の子であった関係もあってか,晩年は特に不遇であった。利休,少庵とともに豊臣秀吉の茶道役として仕えていたが,利休賜死後は少庵と同様に京都を離れた。しかし,会津若松の蒲生氏郷にかくまわれた少庵と異なり,流寓の地は飛驒とも阿波ともいわれて定かでない。少庵と相前後して帰洛し,紹安を道安に改称する。茶人としての道安は,京都伏見での茶匠としての活躍や,1601年(慶長6)細川三斎からその領国豊前で300石の知行を与えられたことなどが知られる。また道安の茶は,小座敷に突上窓(天窓)をあけたり,土器であった灰匙(はいさじ)を金にして柄をつけたり,四畳半座敷の床を4尺3寸にちぢめたり,客座,点前座の間に中柱を立て仕切壁を付けて火炉口をあける道安囲いを構成したりというように,つねに作意工夫が凝らされている。
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朝日日本歴史人物事典 「千道安」の解説

千道安

没年:慶長12.2.17(1607.3.14)
生年:天文15(1546)
安土桃山・江戸初期の茶湯者。千利休の嫡子。堺生まれ。母は阿波三好氏か。初名は紹安。眠翁,可休斎と号した。才能に恵まれたが,家を継がず数寄者としての生涯を送った。利休賜死ののち,飛騨高山(金森氏),豊前小倉(細川氏),阿波徳島(蜂須賀氏)と流寓先が伝えられ,義弟少庵に比して厳しい状況があったと考えられる。文禄年間(1592~96)に帰京し,豊臣秀吉の茶頭に復帰,堺に住んで茶湯者として活動,古田織部の最初の師であり,門下の桑山左近の弟子に片桐石州がいる。慶長6(1601)年,細川忠興から豊前に知行地を与えられたとされる。道安囲と称される小座敷の工夫が知られ,道安風炉などその好みを伝える道具も多い。<参考文献>『堺市史』

(戸田勝久)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「千道安」の意味・わかりやすい解説

千道安(せんのどうあん)
せんのどうあん
(1546―1607)

安土(あづち)桃山~江戸初期の茶人。千利休(りきゅう)の子。母は宝心妙樹(法名)。少庵(しょうあん)は義理の兄弟で同年齢。初め紹安と称し、眠翁と号す。青年期、父の再婚が原因でか、約10年間茶の湯から離れたとみられるふしがあるが、復帰後は父とともに茶頭(さどう)として豊臣(とよとみ)秀吉に仕えた。1591年(天正19)利休賜死の際、阿波(あわ)(徳島県)に逃れたとも、飛騨(ひだ)(岐阜県)に流されたともいうが、不詳。その後、秀吉の茶頭に復帰し伏見(ふしみ)(京都府)で従事したが、98年(慶長3)秀吉が没したことにより堺(さかい)(大阪府)に戻り、慶長(けいちょう)12年、この地で没した。よって利休の茶統は京都の少庵・宗旦(そうたん)父子に伝えられた。

[村井康彦]


千道安(せんどうあん)
せんどうあん

千道安

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百科事典マイペディア 「千道安」の意味・わかりやすい解説

千道安【せんのどうあん】

安土桃山時代の茶人。千利休の長男。初名は紹安。眠翁,不休斎とも号した。義弟の千少庵と同年で,その茶風から〈柔の少庵〉と比して〈剛の道安〉と評された。茶道を父に学び茶室に衝上(つきあげ)(明り取りのため屋根を切り開いてつくった窓)をあけるなど創意に富んでいた。父の切腹後の行動はよくわかっていないが,細川三斎(忠興)の保護を受けたといわれる。
→関連項目片桐石州

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千道安」の解説

千道安 せん-どうあん

1546-1607 織豊-江戸時代前期の茶人。
天文(てんぶん)15年生まれ。千利休の長男。利休とともに豊臣秀吉の茶頭(さどう)をつとめる。利休切腹の際,京都をはなれたが,のち茶頭に復帰。晩年はおもに出身地和泉(いずみ)堺(さかい)で活動した。慶長12年2月17日死去。62歳。初名は紹安。号は眠翁,可休斎。

千道安 せんの-どうあん

せん-どうあん

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