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千道安 せん どうあん

美術人名辞典の解説

千道安

安土桃山・江戸前期の茶人千利休の長男。初名は紹安、のちに道安。号に可休斎・一咄家斎等。利休自刃後京を離れたが、その行方は飛騨・阿波などの諸説がある。義弟の千少庵家再興を許されてから豊前国小倉藩主細川三斎に招致され、禄高三百石を扶持された。その茶風は少庵の柔(静)に対し剛(動)といわれ、道安囲などすぐれた創意を今に伝える。慶長12年(1607)歿、62才。

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デジタル大辞泉の解説

せん‐どうあん〔‐ダウアン〕【千道安】

[1546~1607]桃山時代の茶匠。初名は紹安。号は可休斎。利休の長男。利休とともに豊臣秀吉に仕えたが、利休死後、弟少庵がその後を継ぎ、不遇に終わったという。茶室・道具・茶事などに独自の工夫を凝らしたといわれ、道安囲い道安風炉などにその名が残る。

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百科事典マイペディアの解説

千道安【せんのどうあん】

安土桃山時代の茶人。千利休の長男。初名は紹安。眠翁,不休斎とも号した。義弟の千少庵と同年で,その茶風から〈柔の少庵〉と比して〈剛の道安〉と評された。茶道を父に学び茶室に衝上(つきあげ)(明り取りのため屋根を切り開いてつくった窓)をあけるなど創意に富んでいた。
→関連項目片桐石州

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

千道安 せんの-どうあん

せん-どうあん

千道安 せん-どうあん

1546-1607 織豊-江戸時代前期の茶人。
天文(てんぶん)15年生まれ。千利休の長男。利休とともに豊臣秀吉の茶頭(さどう)をつとめる。利休切腹の際,京都をはなれたが,のち茶頭に復帰。晩年はおもに出身地和泉(いずみ)堺(さかい)で活動した。慶長12年2月17日死去。62歳。初名は紹安。号は眠翁,可休斎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

千道安

没年:慶長12.2.17(1607.3.14)
生年:天文15(1546)
安土桃山・江戸初期の茶湯者。千利休の嫡子。堺生まれ。母は阿波三好氏か。初名は紹安。眠翁,可休斎と号した。才能に恵まれたが,家を継がず数寄者としての生涯を送った。利休賜死ののち,飛騨高山(金森氏),豊前小倉(細川氏),阿波徳島(蜂須賀氏)と流寓先が伝えられ,義弟少庵に比して厳しい状況があったと考えられる。文禄年間(1592~96)に帰京し,豊臣秀吉の茶頭に復帰,堺に住んで茶湯者として活動,古田織部の最初の師であり,門下の桑山左近の弟子に片桐石州がいる。慶長6(1601)年,細川忠興から豊前に知行地を与えられたとされる。道安囲と称される小座敷の工夫が知られ,道安風炉などその好みを伝える道具も多い。<参考文献>『堺市史』

(戸田勝久)

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世界大百科事典 第2版の解説

せんのどうあん【千道安】

1546‐1607(天文15‐慶長12)
安土桃山時代の茶人。利休の長男。初名は紹安。号は可休斎,のち眠翁。義弟の少庵と同年であり,その茶風は〈柔の少庵〉と比して〈剛の道安〉と評された。茶法を父利休に学び,その技量は利休を感嘆させるほどであったが,ついに利休のあと千家第2世を継ぐこともなく,先妻の子であった関係もあってか,晩年は特に不遇であった。利休,少庵とともに豊臣秀吉の茶道役として仕えていたが,利休賜死後は少庵と同様に京都を離れた。しかし,会津若松の蒲生氏郷にかくまわれた少庵と異なり,流寓の地は飛驒とも阿波ともいわれて定かでない。

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大辞林 第三版の解説

せんどうあん【千道安】

1546~1607) 安土桃山時代の茶人。初名紹安。利休の長男。利休らとともに秀吉に仕える。道安囲い・道安風炉ふろはその好みを伝える。

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