「延喜式」神名帳記載の不破郡三座(大一座・小二座)の一「
「続日本後紀」承和三年(八三六)一一月四日条に「不破郡仲山金山彦大神」とみえ、従五位下となり、「名神」に位置づけられた。同一三年五月八日正五位下に(同書)、貞観元年(八五九)一月二七日に従三位から正三位に、同六年五月二二日従二位に、同一五年四月五日には正二位に昇叙されている(三代実録)。「扶桑略記」天慶三年(九四〇)一月二四日条に「美濃国中山南神宮寺」とあり、ここで近江延暦寺の阿闍梨明達ら三〇余人の僧が四天王法を修めている。神宮寺は当社神宮寺とされるが、この修法は平将門の乱にかかわるものであった。なお神宮寺は法体宮と称されていたらしく、現大垣市の
「備陽六郡志」は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
岐阜県不破郡垂井町宮代に鎮座。金山彦(かなやまひこ)命を主神とし,彦火火出見(ひこほほでみ)命,見野命を配祀する。創建年代不詳。古くは仲山金山彦神社と称し,765年(天平神護1)神封1戸を寄せられ,神階しだいに進めて873年(貞観15)正二位,延喜の制で名神大社,940年(天慶3)平将門の乱にあたり朝廷より祈願,1017年(寛仁1)後一条天皇が一代一度の大奉幣を奉納した。美濃国一宮。国府の南に鎮座するためか,現社名となった時期は不明であるが,《今昔物語集》にすでに南宮とある。1511年(永正8)土岐氏が社殿造営のあと,関ヶ原の戦で社殿焼失,1642年(寛永19)徳川家光が再興したのが現社殿。明治の制で国幣大社。中世より刀鍛冶が信仰したが,現在も全国の金物業者が金山本宮とよび崇敬する。例祭5月5日。
執筆者:鎌田 純一
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…洋ラン,干しガキ,茶が特産。揖斐関ヶ原養老国定公園,伊吹山県立自然公園に属し,美濃国分寺跡,竹中氏陣屋跡,南宮神社など史跡も多い。【上田 雅子】
[垂井宿]
古代の不破駅の所在地は垂井とも青墓ともいわれる。…
※「南宮神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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