南宮神社(読み)ナングウジンジャ

デジタル大辞泉 「南宮神社」の意味・読み・例文・類語

なんぐう‐じんじゃ【南宮神社】

岐阜県不破郡垂井町にある神社。主祭神は金山彦命彦火火出見命ひこほほでみのみこと見野命みののみこと配祀はいし。古称、仲山金山彦神社。美濃国一の宮

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精選版 日本国語大辞典 「南宮神社」の意味・読み・例文・類語

なんぐう‐じんじゃ【南宮神社】

  1. 岐阜県不破郡垂井町にある神社。旧国幣大社。祭神は金山彦命(かなやまびこのみこと)・彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)・見野命(みぬのみこと)。神武天皇元年の創祀(そうし)と伝えられ、古くは仲山金山彦神社と呼ばれた。冶金の神として知られる。美濃国の一の宮。南宮さん。

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日本歴史地名大系 「南宮神社」の解説

南宮神社
なんぐうじんじや

[現在地名]垂井町宮代

南宮山北麓に鎮座。美濃国一宮、式内名神大社、旧国幣大社で、南宮社・南宮大社のほか、文献上の仲山金山彦なかやまかなやまひこ神社・中山南神宮寺なども当社に相当する。中山は、養老ようろう山地と伊吹山地の間にある南宮山をさす。なお当社は南宮山を横に、伊吹山を背にして建っている。

〔古代〕

「延喜式」神名帳記載の不破郡三座(大一座・小二座)の一「仲山金山彦ナカヤマカナヤマヒコノ神社名神大」に比定され、名神祭二八五座の一座、美濃で唯一の名神大社であった。なお美濃国神名帳に不破郡八二社の一として「正一位勲一等中山金山彦大明神」とある。社伝によれば神武天皇が長髄彦を征したとき、金山彦命が八咫烏を助けて霊験あらたかであったことから、不破郡府中ふちゆうの地に金山彦命を祀り、八咫烏を配祀、東山道を鎮めさせたという。崇神天皇五年に中山の麓に移すが、府中の正南にあることから南宮と称したともある。「本朝神社考」「神祇志料」も社名由来についてほぼ同様の説明をしている。府中は美濃国府の推定地であり、想定される国府域の南端近くには当社摂社の南宮御旅なんぐうおたび神社が鎮座する。主祭神の金山彦命は金山・採鉱・製鉄をつかさどる神で、中山の名も鉄の産地にかかわるという。「日本書紀」神代第五段の一書に「伊弉冉尊、火神軻遇突智を生まむとする時に、悶熱ひ懊悩む、因りて吐す、此神と化為る、名を金山彦と曰す」とあり、「古事記」にも同様の記述がある。相殿の御野命(見野命)は美濃の旧国名表記御野に関連すると考えられている。創建期については、壬申の乱の際、本営の野上のがみ行宮(現関ヶ原町)にあった大海人皇子が当社に戦勝を祈らせ、即位後行宮の宮殿を当社に寄進したという伝説がある。

「続日本後紀」承和三年(八三六)一一月四日条に「不破郡仲山金山彦大神」とみえ、従五位下となり、「名神」に位置づけられた。同一三年五月八日正五位下に(同書)、貞観元年(八五九)一月二七日に従三位から正三位に、同六年五月二二日従二位に、同一五年四月五日には正二位に昇叙されている(三代実録)。「扶桑略記」天慶三年(九四〇)一月二四日条に「美濃国中山南神宮寺」とあり、ここで近江延暦寺の阿闍梨明達ら三〇余人の僧が四天王法を修めている。神宮寺は当社神宮寺とされるが、この修法は平将門の乱にかかわるものであった。なお神宮寺は法体宮と称されていたらしく、現大垣市の徳勝とくしよう寺蔵の弘安三年(一二八〇)一〇月日銘の寺鐘に「美濃一宮法体宮」とある。


南宮神社
なんぐうじんじや

[現在地名]府中市栗柄町

平井宮谷ひらいみやだにの南山麓にある。祭神伊弉諾命・伊弉冊命・金山彦命。「備陽六郡志」「福山志料」は祭神を孝霊天皇吉備津彦命とする。旧村社。社殿は正殿・拝殿・随身門・供所からなる。「備陽六郡志」に載せる当時の境内配置図によると、随身門・前殿・南宮大明神(正殿)が下から上に一直線上に南面して並び、随身門の東側に神宮寺、正殿の東側に釈迦堂、西側に供所が配される。

「備陽六郡志」は宮内みやうち(現芦品郡新市町)の一宮(吉備津神社)に次ぐ大社といい、「福山志料」は「宮内一宮ト祭神同シ、此社南ニアルユヘ南宮ト号スト、又口碑纂記ニ拠レハ祭神ハ金山彦神ニテ、美濃国南宮社ヲ移シ祭レルナリ、イツレカ是ナリヤ」と述べる。


南宮神社
なんぐうじんじや

[現在地名]八百津町錦織

錦織の美名にしこおりのみなほらにあり、祭神は金山彦命で、熊野社・稲荷社が配祀される。天和三年(一六八三)・正徳元年(一七一一)の棟札がある。当神社の雨乞神事は独得で、藁で作った大〆を腰につけただけの素裸で行われる深夜の綱場までの千度参がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「南宮神社」の意味・わかりやすい解説

南宮神社 (なんぐうじんじゃ)

岐阜県不破郡垂井町宮代に鎮座。金山彦(かなやまひこ)命を主神とし,彦火火出見(ひこほほでみ)命,見野命を配祀する。創建年代不詳。古くは仲山金山彦神社と称し,765年(天平神護1)神封1戸を寄せられ,神階しだいに進めて873年(貞観15)正二位,延喜の制で名神大社,940年(天慶3)平将門の乱にあたり朝廷より祈願,1017年(寛仁1)後一条天皇が一代一度の大奉幣を奉納した。美濃国一宮。国府の南に鎮座するためか,現社名となった時期は不明であるが,《今昔物語集》にすでに南宮とある。1511年(永正8)土岐氏が社殿造営のあと,関ヶ原の戦で社殿焼失,1642年(寛永19)徳川家光が再興したのが現社殿。明治の制で国幣大社。中世より刀鍛冶が信仰したが,現在も全国の金物業者が金山本宮とよび崇敬する。例祭5月5日。
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百科事典マイペディア 「南宮神社」の意味・わかりやすい解説

南宮神社【なんぐうじんじゃ】

岐阜県垂井町に鎮座。旧国幣大社。金山彦(かなやまひこ)命をまつる。鉱山業者の信仰が厚い。延喜式内の名神大社に比定され,美濃国の一宮。例祭は5月5日に羯鼓(かっこ)踊,脱下舞,竜子舞などがあり,11月8日の金山祭(鞴祭)には全国の鉱山・金属業者が参詣する。本殿・拝殿・石鳥居などは重要文化財。
→関連項目垂井[町]

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事典・日本の観光資源 「南宮神社」の解説

南宮神社

(長野県上伊那郡箕輪町)
信州の神社百選」指定の観光名所。

南宮神社

(長野県木曽郡木曽町)
信州の神社百選」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の南宮神社の言及

【垂井[町]】より

…洋ラン,干しガキ,茶が特産。揖斐関ヶ原養老国定公園,伊吹山県立自然公園に属し,美濃国分寺跡,竹中氏陣屋跡,南宮神社など史跡も多い。【上田 雅子】
[垂井宿]
 古代の不破駅の所在地は垂井とも青墓ともいわれる。…

※「南宮神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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