改訂新版 世界大百科事典 「南海路」の意味・わかりやすい解説
南海路 (なんかいろ)
室町時代の遣明船の航路の一つ。遣明船の航路には中国路と南海路とがあった。中国路は,おおむね兵庫を発航地とし,瀬戸内海すなわち中国路を通過して博多に至り,五島に集結して適当な季節風を待ち,東シナ海を一気に横断して中国浙江省の寧波(ニンポー)付近に達する航路である。これに対し,南海路は堺を発航地とし,四国南岸土佐沖を通過して薩摩の坊ノ津に至り,九州西岸を北上していったん博多に入り,さらに五島に出てから寧波に達する航路である。中国路と同様に北東の季節風を利用したが,春と秋とでは方向が多少異なっていたから,春は五島の奈留浦から,秋は北の肥前大島小豆浦(的山(あずち)湾)から外洋に出た。造船技術と航海技術の制約により,風待ちのために年余の期間を過ごしたり,一度外洋へ出たにもかかわらず引き返さねばならないことも珍しくなかった。
南海路は1469年(文明1)に堺に帰着した遣明船によってはじめて用いられた。以後,76年に堺を発し,78年に京都に帰着した船,83年に堺を発した船,1510年(永正7)寧波に着き同年帰国した船,23年(大永3)の遣明船等が南海路によって往来した。遣明船の航路に南海路が登場するのは応仁の乱以後である。西軍の大内氏が瀬戸内海航路を把握していたために,東軍の細川氏の船は,大内氏との摩擦をさけるために南海路をとらざるをえなかったのである。船路としての得失をいえば,航海日数,安全性,費用の点からみて内海を通過する中国路のほうが外洋を航海する南海路よりすぐれていた。しかし南海路が開かれたことによって堺の重要性が増し,堺商人の活躍がうながされるようになった。
→日明貿易
執筆者:田中 健夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報