福岡市博多およびその周辺で生産される織物の総称であるが、一般的には絹織物のもつ独特の風合いと特色のある地合いの帯地に織り上げたものをさす。それは経(たて)糸が緯(よこ)糸をすっぽりと包み込んでいる経畝(たてうね)織で、横方向に畝ができていて、帯として締まりがよいものである。これに縞(しま)を入れ、紋経糸で浮文を織り出しているが、とくに独鈷華皿(どっこはなざら)とよぶ独特の幾何模様が代表的柄とされている。この博多織の起源については多くの説があり、もっとも流布されているのは、鎌倉時代に中国へ渡って技術を学んできた満田弥三右衛門(みつたやそうえもん)によって創始されたというが、定説はない。博多帯の生産は1600年(慶長5)に黒田長政(ながまさ)が筑前(ちくぜん)の領主になってからで、藩の保護とともに発展した。初め男帯だけであったが、女帯もでき、木綿のものも織られた。現在、伝統的工芸品に指定されている。1971年(昭和46)に小川善三郎(ぜんざぶろう)が、2003年(平成15)にその息子の小川規三郎(きさぶろう)が国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
[角山幸洋]
『岡田譲編集代表『人間国宝シリーズ18 小川善三郎――献上博多織―― 甲田栄佑――精好仙台平――』(1978・講談社)』
絹織物の一種で,福岡県博多およびその周辺で生産される。〈博多献上〉,または単に〈献上〉とも呼ぶ。経糸を細く密に,緯糸を太くして強く打ち込んだ,張りのある地厚の硬い感じの織物で,横畝(よこうね)が表面に出る。中世に中国の優れた技術が博多に導入され,良質の生糸産出と相まって新しい織物業が興り,唐糸織,唐織,広東織などと呼ばれた。仏具の独鈷(とつこ)や華皿(はなざら)を文様に織り出し,当初は衣服用であった。今日の博多織は天正年間(1573-92),組紐業者の竹若伊右衛門によってはじめてつくられた。慶長(1596-1615)以降,幕府への献上品や福岡藩の御用品などをつくるようになり,献上の名はここより起こった。毎年3月に帯地10筋,10月に裃(かみしも)地2反が将軍に献上され,帯地は紫,赤,黄,紺,青に限られた。織物業者は手厚く保護され,宝暦年間(1751-64)には12戸に限定された。
絹鳴りのする独特の風合いと光沢をもつ織物で,縞状に配した独鈷柄や紋柄は,紋経を二重にしてジャカード,ドビー機を使って織り出す。帯が主製品で初めのころは男帯であったが,その後女帯へと移行した。帯には平博多,間道(かんとう)博多,昼夜博多,筋入博多,独鈷入博多,献上博多,各種の紋博多,縫取博多などと呼ばれるものがあり,半幅帯とともに,夏物や単(ひとえ),ゆかたなどに好んで用いられる。ほかに伊達締,袴地,袋物地,襟地,ふくさ地,ネクタイ地や室内装飾品もある。またウールや化合繊を使ったものも生産される。博多帯は1975年には167企業で200万本が生産されている。博多のほか,桐生,京都,米沢などでも類似品が織られる。76年に伝統的工芸品に指定された。
執筆者:宮坂 博文
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…さらに居留者が中国人街を形成するほど多く,かの地の織物技術を習い,知識を得る便宜もあったと思われる。博多織の起源には諸説があるが,共通するのはそのもとを中国の織物の伝来あるいはその応用としている点である。史料によれば16世紀中葉に機業はすでに軌道にのっており,しかも博多唐織なる新織物を生産していたことは確実である。…
※「博多織」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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