日本大百科全書(ニッポニカ) 「原爆被爆者問題」の意味・わかりやすい解説
原爆被爆者問題
げんばくひばくしゃもんだい
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20)8月、広島、長崎両市に投下された原子爆弾によって引き起こされた一連の問題。被爆者の把握は、それが地域社会の、瞬間的、斉一的、全体的な破壊であったことや、敗戦前後の社会的混乱、さらには政府の援助の取り組みの遅れなどの要因が重なって、死者、生存者とも推計によるほかはないが、広島市と長崎市がまとめた国連事務総長への報告では、1945年末までの死者は、広島14万人、長崎7万人とされている。また、生存者は、被爆者健康手帳(被爆者手帳)所持者の数からみると、1975年当時は35万7000余人となっていたが、他人に知られることを恐れての未申請者も多く残されているとされている。
被爆者の被害も、(1)放射線、熱線、爆風の相乗作用としての身体的被害、(2)本人、夫、父親などの身体的障害による就労困難や所得の低下・喪失、(3)家財、商店、工場などの焼失による経済的な生活破壊、(4)全滅家族、母子家庭、原爆孤児、原爆孤老などとして現れている家族の崩壊や解体、(5)これらに加えてのケロイドなどの後遺症や遺伝的影響のおそれなどの精神的悩みや不安、など生活の全面に及んでいる。
これらに対し、地元の広島、長崎両市は、被害発生後から調査や検診、医療などを進め、専門病院やホームなどの施設づくりなどにも取り組んできたが、国の被爆者への対策は、「一般戦災者と区別できない」として、被爆後10年も放置されてきた。ようやく1957年(昭和32)から医療面(原子爆弾被爆者の医療等に関する法律、略称被爆者医療法)での、また68年から福祉面(原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律、略称被爆者特別措置法)での法律を制定し、一定の施策を進めるようになった。さらに被爆者の高齢化などを考慮して、前記2法を統合する形で、原爆被爆者援護法が1995年(平成7)施行されている。
[園田恭一]
『原水爆禁止日本協議会専門委員会編『原水爆被害白書』(1961・日本評論社)』▽『広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会編『広島・長崎の原爆災害』(1979・岩波書店)』▽『沢田昭二編『共同研究広島・長崎原爆被害の実相』(1999・新日本出版社)』