聴覚障害児(者)にことばを教える際に、音声言語に基づいて行う方法で、聴能、読話、発語の要素からなる。第二次世界大戦後、補聴器の利用により聴覚の活用が進んだことから、それまでの読話と発語のみによる口話法に対して、聴覚口話法という名称も使われるようになっている。
[草薙進郎・四日市章]
口話法の3要素(聴能、読話、発語)は有機的関連をもって指導され、文字言語の獲得へとつながっていく。
[草薙進郎・四日市章]
聴能は、補聴器や人工内耳などにより聴覚を活用してコミュニケーションを行う力をいう。第二次世界大戦後、オーディオロジーaudiology(聴能学)を基礎に発展した。その後、早期からの補聴器や人工内耳の利用が進められ、ことばの聴取や理解能力をさらに高めることを目標としている。
[草薙進郎・四日市章]
話し手の口の動きや顔の表情、また、その場の情報や前後の文脈から、話の内容を読み取ることをいう。通常の談話状況では、読話は聴能と一体となって相補いながら活用される。
[草薙進郎・四日市章]
聴覚障害児(者)は、発音器官は正常なので、自然な発声を土台に発音・発語指導を行う。呼吸や、発声、発音の練習を基礎に、発語(話しことば)の能力を高めていく。発語は、通常、単語や文のまとまりとして指導しながら、個々の母音や子音の確立も図っていく。その際に、口形模倣や口声模倣、触覚の活用(有声音や鼻音の発音に伴うのどや鼻の部分の振動の利用)などが必要となる。
[草薙進郎・四日市章]
口話法は、18世紀にドイツのハイニッケS. Heinicke(1727―90)によって確立され、近・現代聴覚障害教育の中心的な教育方法となった。聴覚障害児(者)が聞こえる人々の社会で生活し、自己実現を図っていくためには、口話能力が必要となる。しかし、口話法だけでの学習や生活には、主としてコミュニケーションの不確かさから生じる多くの困難も伴うため、手話、指文字、筆談など、他のコミュニケーション手段も同時に活用されている。また、手話は聴覚障害者のアイデンティティとのかかわりからも重要視され、聾(ろう)者の手話を発達の早期の段階から使用する実践も始められている。
学校教育への手話の早期導入と人工内耳による聴能の有効性が実証されていくなかで、聴覚障害児教育でのコミュニケーション手段の議論は、新たな段階に入ったといえる。
[草薙進郎・四日市章]
『我妻敏博著『聴覚障害児の言語指導――実践のための基礎知識』(2003・田研出版)』▽『中野善達他・根本匡文編著『聴覚障害教育の基本と実際』改訂版(2008・田研出版)』
聾児の教育方法の一つで,言語指導をはじめ,すべての指導とコミュニケーションを音声言語でおこなおうとするもの。話し手の唇や顔面筋肉の動きから話された言葉を理解する読話(読唇ともいう),発音・発話,保存聴力の活用による聴き取りに基づいている。16世紀中葉,スペインの修道士レオンPonce de León(1520?-84)によって試みられ,1770年ころ,ドイツのハイニッケSamuel Heinicke(1727-90)によって本格的なものとなった。以後,消長があったが,1840年ころドイツのヒルFriedlich Moritz Hill(1805-74)により,日常生活の中で周囲の事物を見たり触れたりしながら母親に話しかけられ,自然に言葉を理解し話すことを学ぶという,通常児と同じ方法で聾啞児に言葉を発達させる原理--母親法の原理,直観法の原理,話し言葉を言語の基礎とする原理,初めから話すことを教授の手段とする原理など--が確立され,聾教育における口話法体制が成立した。特に1880年のミラノにおける第2回国際聾教育者会議で,口話法の優秀さとその採用が決議されて以来,口話法は各国で優勢となり,手話法や手話と口話の併用法を圧倒するようになった。もっとも,アメリカでは口話法と併用法の併立が続いた。
日本の聾教育は手話法で始まったが,1924年の盲学校及聾啞学校令実施のころから,しだいに口話法に転換した。これには,西川吉之助(1874-1925)による娘浜子への教育の成功,米国式口話法による日本聾話学校の開設(1920),名古屋市立盲啞学校の実践,欧米の口話法普及の啓蒙活動,手話法の行きづまりなどが影響を与えた。〈啞でも話せます〉がキャッチフレーズとなり,25年には日本聾口話普及会も設立され,口話法の組織的普及事業(雑誌,図書,教科書の刊行,研究会,講演会,講習会の開催など)が活発化した。こうして,昭和初期に大半の聾啞学校が口話法を採用するようになり,第2次大戦後はすべての聾学校(聾啞学校という名称は消滅)が口話方式となった。また,補聴器や保存聴力の活用を図る聴能訓練機器の開発により,聴覚利用が重視され,顕著な成果を挙げるようになった。しかし,あらゆる年齢のすべての聾児に適する方法とはなりえず,とりわけ重度・重複障害児の指導はうまくいっていない。
1960年代からは,世界的に口話法の再検討が行われるようになった。ソ連では,早期から口話法に指文字を併用する方法が採られているし,アメリカでは,手指の動きで話すことの手がかりを与えるキュード・スピーチcued speechが提唱・実践され,近年ではあらゆるコミュニケーション方法(口話,手話,指文字,書字など)を利用するトータル・コミュニケーションが力をもってきているが,手話中心の教育を中心とする学校も増加してきている。日本では口話法が中心になっているが,幼児期にキュード・スピーチや手話を採用したり,年長児にトータル・コミュニケーションや手話を試行している聾学校もある。
→手話
執筆者:中野 善達
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…22年イギリスの言語学者H.E.パーマーが文部省外国語教授顧問として来日,翌年には彼を所長として英語教授研究所(後の語学教育研究所)が設立され,英語教育の改革が緒についた。パーマー提唱のオーラル・メソッドoral methodは英語による英語教育で,発音と口頭作業,〈英語で考えthinking in English〉,翻訳の過程を経ずに英語で反応する訓練を強調し(それゆえオーラル・ダイレクト・メソッドoral direct methodとも呼ばれる),この方法はとくに入門期に有効であるとした。また,17年にイギリスのD.ジョーンズの《English Pronouncing Dictionary》が刊行され,その後まもなく日本でも岡倉の《英語小発音学》や市河三喜の《英語発音辞典》が出,国際音声字母(IPA)による発音表記が日本の辞典や教科書に採用されるようになった。…
…1922年文部省顧問として来日し,英語教授研究所(のちの語学教育研究所)を開いて所長となった。教育,著書,講演を通じて,彼のいわゆる〈オーラル・メソッドoral method(口頭教授法)〉を説き普及させ,第2次大戦前の日本の英語教育に大きな影響を与えた。それは同時に,戦後アメリカのC.C.フリーズによる〈オーラル・アプローチ(口頭接近法)〉普及の素地をつくるものであった。…
※「口話法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新