聾児や高度難聴児の教育を行うために特別に設けられた学校。日本の学校教育法(1947)では,その目的を,聾者に〈幼稚園,小学校,中学校又は高等学校に準ずる教育を施し,あわせてその欠陥を補うために,必要な知識技能を授けること〉と規定してきた。2007年4月に学校教育法の改正が施行され,障害児を対象とする特殊教育は特別支援教育と改称された。これにより法律上は聾者,聾学校という名称がなくなり,〈聴覚障害者〉,〈聴覚障害である幼児・児童・生徒に対する教育を行う特別支援学校〉と改められた。もっとも文部科学省は聾学校という名称はそのまま使用可という通知を出しており,ほとんどの学校は聾学校と名乗っている。聾学校は特殊教育学校としては成立が最も古く,18世紀半ば,フランスのレペーCharles Michel,Abbé de l'Épée(1712-89),ドイツのハイニッケSamuel Heinicke(1727-90)などによって近代聾学校の基礎がつくられた。19世紀に入って各国に聾学校が設置されたが,指導の内容は,言語指導を中心とした一般教育と職業教育であった。
日本では,明治初年に聾児の教育が試みられ,1878年古河太四郎らの尽力で京都盲啞院が開設された。また,80年には中村正直,津田仙,山尾庸三らによって東京に楽善会訓盲院が開設され,聾児も教育対象とし,84年には訓盲啞院となった。初期の教育方法は手話法であったが,大正時代に口話法が導入され,しだいに口話中心へと移行した。このころ,各地に聾学校が開設され,1923年には〈盲学校及聾啞学校令〉が公布され,各道府県に聾学校を設置する義務が課された。第2次大戦後,学校教育法により就学の義務が定められ義務教育となったが,実現は48年であった。また,この法律により,聾児や高度難聴児を対象とする学校は,聾啞学校とは呼ばず,聾学校と呼ばれることになった。2008年現在,聴覚特別支援学校は109校あり,うち1校が国立,2校が私立,他は公立である。ほとんどの学校が幼稚部,小学部,中学部,高等部から構成され,一つのキャンパス内で就学前の教育から職業準備教育まで行っている。また地方では,かなりの児童・生徒が寄宿舎や聾啞児施設で生活をしている。幼稚部では3歳から組織的な早期教育を行っているが,言語発達を含め,精神発達にとって生後数ヵ年がとくに重要な時期であるため,3歳未満児やその親を対象にした指導・相談も実施している。完全に聞こえない子どもは少ないため,補聴器を早くから装用させ,保存聴力を活用させる聴能訓練が重視され,通常の幼児と同様,自然な言語を自然な方法で指導する方法が採られている。小学部・中学部では,各教科,道徳,特別活動のほか,特別な専門的指導を行う自立活動(言語指導や職能訓練など)で教育課程を編成している。教科書は,原則として小・中学校と同じものが用いられているが,国語や音楽については聾学校用のものも使われている。高等部のうち,普通科は半数以下の学校にしか設置されておらず,被服,産業工芸,理容の各科にかたよっている。生徒の選択にたえるだけの学科数をもたない学校が多い。
近年,教育対象者の障害の重度化と重複化に伴い,教育内容・方法の改善が迫られており,口話法中心であった教育方法は,手話その他の手段をも用いた方法が優勢になりつつある。また,特別支援学校には地域の特別支援教育のセンター的役割を果たすことが求められている。今後,聴覚障害者に対する教育を行う特別支援学校の統廃合が実施される恐れがあり,他の障害者を対象とする学校との統合により,聾学校の名称がしだいに少なくなると懸念されている。
→口話法 →手話
執筆者:中野 善達
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聾者や強度の難聴者に必要な知識・技能教育を行う学校。日本では1878年(明治11)に古河太四郎らによって始められた京都盲唖院が最初。1910年には盲学校と分離した単独の聾唖学校である官立東京聾唖学校が誕生。23年(大正12)の盲学校及聾唖学校令により,道府県の学校設置義務を定めた。第2次大戦後の48年(昭和23)に就学義務制となり,法的基盤が確立された。2007年(平成19)から特別支援教育の理念に基づく特別支援学校となった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…〈啞でも話せます〉がキャッチフレーズとなり,25年には日本聾口話普及会も設立され,口話法の組織的普及事業(雑誌,図書,教科書の刊行,研究会,講演会,講習会の開催など)が活発化した。こうして,昭和初期に大半の聾啞学校が口話法を採用するようになり,第2次大戦後はすべての聾学校(聾啞学校という名称は消滅)が口話方式となった。また,補聴器や残存聴力の活用を図る聴能訓練機器の開発により,聴覚利用が重視され,顕著な成果を挙げるようになった。…
…その身ぶりは,眼前の事物や状況の伝達に限られ,また,それ以上の役にはたたなかったが,聾者の相互交渉の機会が多くなり,その生活空間が拡大するにつれ,共通性の高い,体系だった身ぶりの必要性が生じてきた。こうした機縁をつくったのが聾学校の開設である。18世紀の中葉,エペーCharles Michel,Abbé de l’Epée(1712‐89)によって世界最初の聾学校がパリに創設された。…
※「聾学校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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