意見状(読み)いけんじょう

精選版 日本国語大辞典 「意見状」の意味・読み・例文・類語

いけん‐じょう‥ジャウ【意見状】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 中世寺院での訴訟について、供僧(ぐそう)が意見を記した文書。訴訟当事者双方の主張を整理して二項に分け、一通の文書で二者択一的に供僧に問い、供僧らはその文書にそれぞれの意見を書いた。
    1. [初出の実例]「公文職事 意見状」(出典:東寺百合文書‐ハ・延文元年(1356)四月二一日・東寺供僧意見状)
  3. 室町中期以後、幕府訴訟制度において、当初には評定衆と右筆方が、のちには専ら右筆方が訴訟の判決に関する意見を書きしるした文書。意見状の結論と判決はほぼ一致し、単独証文ないしは傍証として通用した。
    1. [初出の実例]「次意見状之儀、当番衆被相調衆中之被判形」(出典:室町家御内書案(14C後‐16C後)上)

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改訂新版 世界大百科事典 「意見状」の意味・わかりやすい解説

意見状 (いけんじょう)

室町時代後期懸案の事項について,いかに裁判すべきかという意見を将軍に具申した上申文書。鎌倉時代以来武家訴訟制度の中核であった引付制度は,南北朝後期からしだいに形骸化し,将軍足利義満・義持の執政期にはほとんど廃絶した。これに代わったのが,将軍親裁をたてまえとするいわゆる御前沙汰であるが,逆に訴訟の受理から判決案の作成に至る裁判の全過程を,実質的に把握していたのは,幕府官制上はきわめて低身分の奉行人層であった。このような制度上のたてまえと実態の懸隔を埋めるために出現したのが意見制であり,そこで用いられたのが意見状である。意見状の初見は永享年代(1429-41)であり,前代義持の独裁制に対する反動としての新将軍義教の政治方針にもとづいて,意見制そのものもこのころ発足したものと推定されている。しかし当時は上層の法曹官僚である評定衆のグループなどからも意見状が徴されており,また判決の作成のために意見状が制度的に必要とされたわけでもなかったし,当然意見状が最終の判決を束縛する度合も微弱であった。その後意見制はしだいに制度的な発達をとげ,意見状の作成者は,奉行人層の一定の有資格者の集団である右筆方(ゆうひつがた)に固定され,同時に意見状が実質的に判決を拘束する度合も上昇した。

 意見状は内容の表題たる事書以下,審理の内容とその結論を記して,〈よろしく上意たるべし〉という慣用語で終わり,意見参加者全員の連署が加えられているのが通常の形式であるが,結論に到達するプロセス記述は後期のものほど詳細であり,またその対象も民事訴訟にとどまらず,刑事事件や人事に関するものなど多方面にわたっている。本来幕府内部での上申文書である意見状の正文が相当数伝来していることは,意見状が判決文書とともに勝訴者に交付されたことを示している。なお佐藤進一・池内義資編《中世法制史料集》第2巻に伝来意見状のリストが収載されている。
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