日本の協同組合にあたる中国の,労働者,農民あるいは住民が連合して組織した経済組織。合作社の主要形態には農業生産合作社,供銷(購買,販売)合作社,信用合作社,手工業生産合作社,運輸合作社などがある。旧中国においても,アメリカ系統,国民党,東北,華北における日本,そして解放区における共産党によって種々の合作社が存在したが,以下代表的な事例として新中国の農業生産合作社について述べる。人民共和国成立直後から農村では土地改革が実施され,地主的土地所有制をうち破り農民が土地を所有して小農経営を行った。その後,社会主義的改造の方針の下に協同化が進められ,互助組,初級農業生産合作社,高級農業生産合作社の段階を経る。互助組は臨時的(一時的,季節的)なものと恒常的なものがあり,個人経営を基礎に農繁期の作業あるいは年間の作業に対して共同で労働することを特徴としている。初級農業生産合作社は互助組をいっそう発展させたものであり,土地や役畜などの生産手段の私的所有制を基礎としたうえでそれらを出資して統一的に経営を行う半社会主義的な性質の形態である。また分配は出資した土地・役畜への分配と,労働に応じた分配との2形態をとる。高級農業生産合作社は初級社より集団化の範囲が広く,土地などの主要な生産手段を共有とし,したがって分配も労働に応じた分配だけとする社会主義的形態である。ソ連のコルホーズのアルテリに相当する。その後,高級農業生産合作社は1958年の大躍進の過程で合併されて人民公社へと移行した。農業協同化は当初の予定よりテンポが速かったが,その弊害も指摘されている。
執筆者:斉藤 節夫
合作社はベトナムでも協同組合形態の組織のことをいう。合作社はまず南北分断期(1954年7月~76年6月)の北部において農業・手工業・金融・流通部分野で設立が奨励された。とくに農業では,社会主義を担う基本的生産・経営単位として重視され,1960年末までには農家の85%が初級合作社(生産手段は私有のままで,共同労働を行う)に加入し,60年代末までにはそのほとんどが高級合作社(生産手段を共有し,労働にのみに応じた分配を基本とする)に移行した。南北統一後,南部でも農業・手工業の合作化が進められた。しかし平等主義的色彩の強い請負方式が適用される農業合作社では農民の労働意欲は阻害され,生産は伸び悩んだ。そこで88年4月,指導部は政治局決議第10号により,〈ドイモイ(刷新)〉政策の一環として画期的な生産請負制を導入した。その結果土地は長期間農家に分配されて,事実上個人経営が行われることになり,農業合作社は南部では解体し,北部でもその機能を大幅に縮小させた。また手工業・商業における合作社も解体するか私営企業へ転換が進み,その数は激減した。政府は95年に合作社の新たな展開を図るため,合作社法を制定したが,その前途は厳しい。
執筆者:村野 勉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国の協同組合を一般にこのようによぶ。1919年に社会改良の目的から復旦(ふくたん)大学教授薛仙舟(せつせんしゅう/シュエシエンチョウ)(1878―1927)によって信用協同組合思想が導入されたのが初めといわれる。解放前、信用、販売、小工業の各合作社が大陸各地において創設されたが、戦争と内戦のためもあって長続きしなかった。
その間、毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)らの革命根拠地においては、日本軍と国民党軍に包囲されていたので、自給自足経済を維持するため、いやおうなしに合作社を発展させざるをえなかった。なかでも、農業における伝統的な労働力相互交換制度を利用した数戸からなる互助組は、解放以後の農業集団化の足場ともなった。
解放後こうした経験が受け継がれ、同時に、私的所有よりは合作社制度のもつ集団所有制がより「社会主義的」であるとする社会主義観を背景に、都市と農村、生産、信用、販売、購入の各分野で合作化(集団化)が推し進められた。とりわけ農業生産合作社は、互助組から初級合作社へ、さらには高級合作社へと、より大規模に、またより「社会主義的」に進化していった。ここで初級合作社とは、10戸ないしはせいぜい20~30戸からなる農家が、土地私有権を保持したまま労働力、土地、資本をプールして利用するというものであり、それに対して初級合作社を合併してできた高級合作社は200~300戸程度の比較的大型の合作社で、土地や大型の資本も合作社が所有する組織である。しかし1958年の人民公社化の過程で、これもより大規模な人民公社へと移行した。そのなかで、かつての初級合作社は生産隊に、高級合作社は生産大隊に編成された。
中国において集団所有が見直されるようになったのは、「四人組」失脚(1976)以後の1978年ごろからである。従来の協同組合原則に則した新たな合作社への取り組みが始まった。人民公社は、1982年の新憲法で解体され、末端行政政府が所有・経営する郷鎮(ごうちん)企業に変身した。郷鎮企業には、行政政府のもの以外に集団所有企業や共同経営企業があり、それらは新たな合作社の取り組みである。また、農産物を農民から買い付けたり、農民に生産資材を販売したりする供銷(きょうしょう)合作社(販売購入協同組合)、さらに農村における末端の銀行である信用合作社(信用協同組合)、それに各種の小規模な生産合作社などもある。このうち供銷合作社と信用合作社は人民公社化時代には重要な働きをしたが、改革開放以後市場化が進むにつれて、しだいにその役割を低下させてきている。
[中兼和津次]
『青柳斉著『中国農村合作社の改革 供銷社の展開過程』(2002・日本経済評論社)』
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中国共産党の支配した解放区では農業の協同組合化が進んだ。中華人民共和国が成立すると新しい合作化の運動が展開。ここでは土地改革を実施して地主制を一掃したのち,農民は合作化の道を歩むものとされた。生産組織は,旧来の農村にあった共同労働の形態(互助組)から初級,高級の農業生産合作社へと進んだ。1958年以来,この高級農業生産合作社は集団化の一層強い形態である人民公社へと発展した。80年代に導入された農業生産責任制では別な文脈で再評価が与えられている。
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