絶対主義時代イギリスの政治家,哲学者。エリザベス朝の国璽尚書ニコラス・ベーコンの八男としてロンドンに生まれた。12歳でケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学,3年後退学してグレー法曹院に入り,1576年駐仏大使に従ってフランスに渡った。3年後父の死のため帰国,84年下院議員となった。この後国会ごとに下院議員として活躍したが,念願の官職に就くことがなかなかできず,ジェームズ1世のもとで初めて法務次官となった。以後は法務長官,枢密顧問官,国璽尚書を歴任,1618年には大法官,男爵,21年には子爵となった。同年失脚,その後復帰を認められたが隠退して著述と研究に専念,26年ハイゲートに向かう途中に病気となり,4月9日没した。
彼は政治家,法律家,歴史家としては,一貫してイギリス絶対主義の確立のために活躍したが,他方,思想,哲学,科学においては古代や中世を乗り越える学問・思想の〈大革新〉を企てた。すなわち,中世的思想に対し古典古代の学芸を復活するだけでは不十分であることを見てとり,これまでのあらゆる学問に批判的検討を加えて,未開拓の新研究分野を明らかにした。彼の〈大革新〉のかなめは〈人間の生活を新しい発見と資財によって豊かにすること〉が学問の目標であるとすることである。したがって学問のための学問や名声を得るための学問を批判する。そのような新しい学問は,個人的天才によってではなく人類の共同作業であると彼は考えた。そこで提案された方法は,独断論(合理論)と経験論をともに批判し,帰納と演繹の二つの道を総合する方法であった。したがってベーコンの立場はアリストテレス主義でもプラトン主義でもない,経験論と合理論を総合した新しい学問の立場であった。彼はこの方法に従ってみずから自然研究に従い,大著《大革新》に集大成しようとした。しかし実際に書かれ刊行されたのはその一部で,未来の人々が完成してくれることを期待していた。《大革新》の第1部をなすのは《学問の尊厳と進歩》で,すでに1605年に《学問の前進》と題して英語で刊行された書物の増補ラテン語版である。これは独自の基準によって学問分類を行い,当時の学問を概観すると同時に,あるべき学問についても示したものである。すなわち学問を人間の持つ三つの知的能力,記憶・想像・理性に対応させて大きく歴史・詩・哲学に区分し,それぞれをまた細区分するしかたであった。その中で,技術史や機械学などその後に発展した学問を提案している。また情報伝達の技術についても1巻を捧げている。《大革新》の第2部は自然研究の方法論で《ノウム・オルガヌム》と題されている。第3部は《宇宙の諸現象》の自然誌で,ベーコンは個人で完成しえないものと考えていたが,結局国家の援助が得られず膨大な原稿が残された。一部分は生前に出版されたが,ここでも自然誌だけでなく多くの技術誌を提案しかつ書き残している。ベーコンは死ぬまでこの努力を続け,死の翌年《森の森》と題して出版された。第4部の《知性の梯子--別名,迷宮の糸》は序論の原稿だけが残っている。第5部と第6部の《第二哲学》の部分も短い序文しか残っていない。他の著作としては,もっとも早く出版され広く読まれてきた《随筆集》(1597),久しく忘れられていたが近年重要視されつつある《古人の知恵》(1609),大著《ヘンリー7世治世史》(1622),遺稿となった理想郷物語《ニュー・アトランティス》(1627)がある。
ベーコンを前提としてデカルトによる近代哲学の確立があり,またベーコン的な態度はローヤル・ソサエティやフランスの百科全書派(アンシクロペディスト)に受け継がれた。日本では明治以来《随筆集》で知られてきたが,最近はその〈人類のための科学〉という思想があらためて注目されてきている。
執筆者:坂本 賢三
イギリスのスコラ学者,フランシスコ会士。その博識により〈驚異博士Doctor mirabilis〉と称される。サマセット州のイルチェスターあるいはグロスター州のフォッジモア出身と推定される。オックスフォードに学んだ後,1240年ころパリへ渡り,神学研究のかたわら,アリストテレスの自然学諸著を講義した。やがて学問界の頽落状態に失望し,47年ころ入手した偽アリストテレス《秘中の秘》に触発されて,知的転機を迎えた。討論のための知識を求める通常のスコラ的思考方法に決別し,知識の有用性と統一性を求めて学問研究全体の改革を企図し,〈諸学の女王〉たる神学の豊穣化に向けて諸学問の成果を活用すること,彼の用語では,〈知恵の統合integritas sapientiae〉を実現せんとした。67年までの約20年間はこの雄大な目標に内実を与えるために費やされた。大量の研究資金を投じてギリシア,アラビアの文献を渉猟するとともに,また師グロステストやマリクール(ペトルス・ペレグリヌス)などの賢者とも交流して,有用な経験的知識の集積を図った。積年の夢を教育制度改革として実現すべく,教皇クレメンス4世(在位1265-68)と接触し,その求めに応じて,百科全書《主要著作》の構想を練ったが,それは個人の力量をはるかに超えていた。その準備作として,66年中ごろから68年初頭にかけて,代表作《大著作》をはじめとして《小著作》《第3著作》《形象多化論》を急いで書き上げ教皇に献じた。しかし教皇の急逝により,建白案は実現の機会を失った。だが彼の熱情と批判は終生衰えることなく,《哲学研究綱要》(1272ころ執筆完成,以下同),《神学研究綱要》(1292)でも基本的主張が反復されている。
彼は学問研究の障害となる人間的無知の4原因(脆弱な権威への依存,慣習の影響,俗衆の意見,自己の無知の隠ぺい)を除去し,ヘブライ,ギリシア,アラビアの諸語を習得して後進地域西欧の知的水準の向上に努めねばならないと説く。論理学ではなく数学こそ重視すべきだと主張し,またグロステスト,アラビアの光学者イブン・アルハイサムに依拠して光学(視覚論)の研究に専念した。この両学問はベーコンにおいて密接な連関を有する。なぜなら自然界の作用の基本形式を作用者→形象(スペキエス)→被作用者と把握する独特の自然哲学(形象多化論)を唱え,光の伝播形式をモデル化して形象の伝播形式を構想した彼にとっては,自然法則は根本的に数学的(幾何学的)規定性をもつのである。さらに彼はフランシスコ会で支配的であった神による人間知性の照明説によって経験を重視し,独特の〈経験学scientia experimentalis〉の理念を提唱した。この学は他の諸学問に対して三つの特権(既存の理論の検証と反証,既存学問内部における未研究分野の開拓,自然の隠れた性能を実現する技術的成果)を持つとされる。同時代人への激しい批判のゆえに,77-92年にかけて投獄されたと伝えられる。その事件の余波で彼の思想は注目されることなく,わずかに光学,医学,占星術,錬金術に関する著述で知られるのみとなり,魔術師ベーコン像が定着していった。
執筆者:高橋 憲一
一般に三枚肉と呼ばれる豚のわき腹肉(ばら)を塩漬,薫煙した加工品。ベーコンの語源はうしろ(back)と同じで,豚の背やわきの肉をさし,干したものや塩漬のものもすべてベーコンと呼んでいた。現在の製法はハムとほとんど同じであるが,原料肉は広く,大きく,肉と脂肪が3層になっているものがよい。肋骨や胸骨を抜いて整形後,血絞り,塩せき(漬),水洗,薫煙して製造する。ハムと違って湯煮を行わない。血絞りはハムと同じ要領で行う。塩せきは一般には乾塩せき法を用い,肉重量の3~6%の食塩,1~2%の砂糖,0.3%の硝石,0.01%の亜硝酸塩,0.5~1%の香辛料の混合物を肉の表面にすりこんで,肉1kg当り3~4日間くらいの割合で3~5℃におく。水洗いで過剰の塩分を除き,30℃で2~5時間乾燥後,30~40℃で12~24時間薫煙する。50~60℃で薫煙したものもある。薫煙によって防腐効果,特有の香味と色調が与えられ,脂肪の酸化も防止される。カナディアンベーコンは豚背肉をベーコンと同様の製法で加工したものである。くじらベーコンはナガスクジラの須の子を含む畝の部分を塩漬し,湯煮後薫煙したものである。これは日本で考案され,第2次世界大戦後の食糧不足期に盛んに消費された。
執筆者:沖谷 明紘
薫製品特有の風味,および強い脂肪分と塩味を生かして料理に用いる。ベーコンエッグは薄切りのものを焼いて,鶏卵の目玉焼きに添え,おもに朝食に用いる。ヒレ肉のまわりをベーコンで巻いたビーフステーキがトルヌード,同様にカキを巻いて串(くし)にさして焼くのも美味である。煮込料理にも適し,ロール・キャベツやビーフシチューに使ったり,白インゲンとともにトマトで煮込んだりする。野菜のいため物にもよい。
執筆者:橋本 寿子
アイルランド出身の画家。ダブリンに生まれ,1925年ロンドンに移住。以後2年間室内装飾の仕事につく。やがて独学で絵を描きはじめ,34年ロンドンで最初の個展を開く。はじめは現代社会の悲惨と不安をグロテスクな人間像に託して表現していたが,間もなく名画のパロディを試み,よく知られた人物や画像の奇妙な変様を描くようになった。代表作に《法王Ⅰ》(1951)など。
執筆者:岡田 隆彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イギリスの哲学者。ルネサンス期後の近代哲学、とくにイギリス古典経験論の創始者。ロンドンで国璽尚書(こくじしょうしょ)を父とする名門に生まれ、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに学ぶ。フランスに留学。帰国後エリザベス1世女王下に国会議員となる。さらにジェームズ1世のもとで司法長官、ついで父と同じ栄職につき、「ベルラムの男爵」「オールバンズの子爵」となったが、汚職のため失脚。晩年は失意のうちに研究と著述に専念、ハイゲイトに没した。
過渡期・近世初期の思想家、そして経験主義者の宿命として、ベーコンにはケプラーの成果に対する無知、合理的・計量的手段としての数学への無配慮、演繹(えんえき)に対する誤った評価、天動説を奉じてアリストテレス的思考法を脱しえなかったことなどの点で旧思想の影響がみられる。しかし、彼の基本的な意図はスコラ哲学の不備・欠陥を批判し、新たな経験論的方法を発見し提唱することにあった。彼はのちのヒュームやカントらの範となった『学問の大革新』全6部の執筆を構想し、その計画を大規模に展開するはずであったが、実現されたのは3部で、とくに第1部の『学問の進歩』(1605)、第2部の『ノウム・オルガヌム』(1620)が重要である。前者でベーコンは記憶・想像・理性という、人間の精神能力の区分に応じて学問を歴史・詩学・哲学に分け、さらに哲学を神学と自然哲学とに分かったが、彼の貢献と最大の関心は自然哲学の分野にあり、帰納法、科学方法論の提唱にあった。『ノウム・オルガヌム』で彼はまず、人間の知性の真理への接近を妨げる偏見として、四つのイドラidola(偶像または幻影)をあげる。第一は、自己の偏見にあう事例に心が動かされる、人類に共通の種族の偶像、第二は、いわば洞窟(どうくつ)に閉じ込められ広い世界をみないために個人の性向、役割、偏った教育などから生じる洞窟の偶像、第三は、舞台上の手品・虚構に迷わされるように、伝統的な権威や誤った論証、哲学説に惑わされる場合の劇場の偶像、第四は、市場での不用意な言語のやりとりから生じる市場の偶像である。
彼は、このような偏見を一掃し、知識の拡大に役だたない演繹的三段論法ではなく、実験と観察に基づく帰納的方法を重視する。「知は力なり」「自然はそれに従うことによってのみ征服できる」などの彼のことばから知られるように、彼の目的は人間による自然の支配の方法の確立である。それは多数の事例を集めて表や目録をつくり、事象の本質を把握する方法である。ベーコンのいう本質は依然中世的「形相」の考え方から脱却しておらず、自然法則の意味を明確にしていないし、数学への無理解から自然中の普遍的法則を量的関係としてとらえる手段を持ち合わさない点で、上記の試論は不十分であったが、近代科学の方法の重要な一面を確実に強調している。
ベーコンの実践哲学は、彼の文筆の才を示す『随筆集』(1597)で非体系的に述べられているにすぎない。しかし、利己的衝動のほかに愛という至高の徳による人間全体への配慮の存在を認め、後者による実践的活動の重要性を説く点で、彼は後のイギリスに固有の社会的・実践的・功利主義的倫理の傾向を示唆している。著書としてほかに、『学問の進歩と権威』(1623)、『ニュー・アトランティス』(1624)、『森また森』(1627)などがある。
[杖下隆英 2015年7月21日]
『渡辺義雄訳『ベーコン随筆集』(岩波文庫)』
豚肉の加工品。ベーコンという名称は本来は豚肉の部位名で、わき腹肉(一般に三枚肉、ばら肉ともいう)のことである。この部分の肉を塩漬(えんせき)、薫煙(くんえん)したものもベーコンとよばれるようになった。
[河野友美・山口米子]
製法はハムとほとんど同じで、使用する肉の部位と塩漬の方法が異なる。また、ハムは湯煮(ゆに)を行うが、ベーコンでは普通、湯煮をしない。豚のわき腹肉を枝肉から切り取り、血絞りを行ったあと塩漬する。塩漬に用いる塩は肉の重量に対して4~6%で、塩以外に糖類、香辛料などの調味料と発色剤、防腐剤などの添加物を加える。発色剤は、肉色を美しい赤色に安定させる効果をもつ。塩漬の目的は、肉の色沢、風味、組織などを整え、保存性をもたせることである。塩漬期間は肉1キログラム当り3~4日要する。塩漬が済んだら余分の塩をとるために水に浸し、必要に応じて肋骨(ろっこつ)や胸骨を除いて整形する。これを軽く乾燥してから薫煙を行う。薫煙すると肉の表面の細菌が減少し、保存中の細菌の増殖が防げる。また、薫煙の煙の成分であるアルデヒドやフェノール類が肉に浸透し、肉の保存性が高まる。さらに肉によい風味をつけ、脂肪の酸化を防ぐこともできる。
[河野友美・山口米子]
ベーコンの種類は材料肉の部位によって分類されている。通常ベーコンというとわき腹肉を用いたものである。他の部位を用いたものは、JAS(ジャス)(日本農林規格)で、ロース肉を用いたロースベーコン、かた肉を用いたショルダーベーコン、そのほか、胴肉を用いたミドルベーコン、半丸枝肉(半身)を用いたサイドベーコンに区別されている。カナディアンベーコンといわれているものは、あばら骨をつけたままのロース肉を用いたものである。ロース肉やかた肉を用いたものは、わき腹肉のベーコンに比べ脂肪が約3分の1である。日本では皮なしでスライスしたものが主流であるが、欧米では皮付きやかたまり肉のものもよく使われる。クジラベーコンというのは、鯨肉の畝(うね)の部分を用いて塩漬、湯煮、薫煙した日本特有の加工品である。
[河野友美・山口米子]
豚肉加工品のなかでもとくに脂肪の多い食品で、高エネルギー、高脂肪食品である。通常のベーコンは約40%が脂肪である。タンパク質は13%で、ハムや豚もも肉に比べてやや少ない。塩分は2%強含まれる。
[河野友美・山口米子]
特有の薫煙による風味やうま味と脂肪が料理に利用される。シチューやスープにこくを与え、ベイクドビーンズなど豆の煮物の風味づけによい。ベーコンエッグやかりかりに焼いたベーコンは朝食用に愛用されている。塩味が強いので、ベーコンを用いた場合には塩味を控え目にする。湯通しして用いると脂肪が流出して油っこさが和らげられる。
[河野友美・山口米子]
イギリスの画家。ダブリン生まれ。17、8歳のころ1人でロンドンに出、ついでベルリンとパリに約2年滞在、室内装飾などの手間仕事をしながら水彩画を、1929年ころにはロンドンに移って油彩画を始める。初め室内装飾や家具などで注目されたのち、油彩画に専念することになる。写真や複製をもとに、有機的形態を極度に変形した形で表現し、奇怪な生物や人間が原色で数多く描かれることになる。グレアム・サザランドとも親交を結び、互いに影響を受ける。『ベラスケスによる習作、教皇インノケンティウス10世』の連作など、取りつかれたように制作する。室内の人物像など、色彩も形も極度に変形された画面だが、近作になるにつれ、原色のコントラストと変形にもかかわらず、全体として画面全体がしだいに落ち着きを増してきた。
[岡本謙次郎]
イギリス中世の哲学者、科学者。驚異博士Doctor mirabilisと称される。サマーセット県イルチェスターの生まれ。オックスフォード大学およびパリ大学に学び、アリストテレスの自然学などを講じた。オックスフォード大学に戻っては自然学と言語の研究を行い、やがてフランシスコ会に入った。経験学scientia experimentalisを提唱し、知識はすべて経験に基づくとする。ただし、経験には感覚によるもののほかに、神的照明によるものも含まれるとする。経験(実験)の重視、光学における業績、工学的予見などのために、近代科学の先駆者とされる。また言語研究を重んじたが、それは聖書と当時の黙示文学書(占星術・錬金術を含む)の内にすべての知識がみいだされるとの素朴な信念のゆえでもあった。
[清水哲郎]
出典 図書館情報学用語辞典 第4版図書館情報学用語辞典 第5版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
1214頃~94
中世イングランドのスコラ哲学者。オクスフォード大学に学び,パリ大学に留学後フランチェスコ修道会に入り,オクスフォード大学で教えた。教皇クレメンス4世の勧めで文法,論理,数学,哲学などの論文をまとめた書を著し,神学による学問の体系化を試み,経験論的傾向により自然科学の道を開いた。「不思議博士」と呼ばれた。
1561~1626
イングランドの哲学者,政治家。ケンブリッジ大学に学び,パリに留学。1584年下院議員,1613年法務総裁,17年国璽(こくじ)尚書,翌年大法官。21年収賄罪で弾劾を受け,官職を剥奪されて一時ロンドン塔に幽閉。隠退後は研究と著述に専念した。主著『新オルガヌム』(1620年)において,観察と実験による帰納法を説き,近代科学の方法を確立。その他『随筆集』(1597年)やユートピア物語『ニュー・アトランティス』(1627年)を書いた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…端的に,人間と自然との交渉のうちに成り立つ自然的経験世界の定立から,人間の間主観的相互性を通して再生産される社会的経験世界の発見に至る経験概念の不断の拡大傾向がそれである。こうした動向に注目するかぎり,イギリス経験論の歴史的サイクルは,通説よりもはるかに長く,むしろF.ベーコンによって始められ,A.スミスによって閉じられたと解するほうがより適切であると言ってよい。その経緯はほぼ次のように点描することができる。…
…機械論の再出発は17世紀初頭のヨーロッパで行われた。その背景には中世における建築技術の発達や機械時計の完成,さらに大砲の開発による投射体の運動の研究や航海術の進歩に伴う位置決定の課題などがあったのであるが,17世紀はじめに,それまで支配的な自然観・社会観であった目的論的・有機体論的なアリストテレス主義と,隠れた性質を認めるヘルメス主義を批判してF.ベーコンが新しい要素論を唱え,デカルトが魂と物体を明確に区別して物体から内的目的や隠れた性質を排除し,自然を〈延長〉としてとらえ,運動を位置の変化として幾何学的に研究する方法を打ち立てて,近代の機械論が成立した。すなわちデカルトは,当時完成した機械であった時計をモデルとして,自然を外から与えられる運動によって〈法則〉に従って動く部分の集合であると見たのである。…
…最も早く近世に入った中国では,沈括(しんかつ)が《夢渓筆談》で活字印刷術や磁針その他について多数記述し,曾公亮の《武経総要》は磁針や火薬をはじめとする多数の技術記録を残した。西欧では,ビラール・ド・オヌクールがその《画帖》に当時の技術を記録しているが,とくに15~16世紀に新技術を記載した書物が多数出現し,F.ベーコンはこれらの技術誌を学問の中に位置づける新しい学問分類を提案した。ベーコンの重要な点は,他の学問と違って〈機械的技術においては,最初の考案はごくわずかなことしかなしとげず,時がこれにつけたして完成する〉として,技術の進歩が蓄積的で改良・洗練されていくものであることに注目したことと,〈技術史(誌)の効用はすべての歴史(誌)のうちで自然哲学のために最も根本的で基本的なものである〉として技術史(誌)の研究を提唱した(1605)ことである。…
…この意味では神像や仏像と同じであるが,とくに〈偶像〉という場合には,真のものではない別の姿ないし中間に介在するものという意味合いを含んでいる。哲学用語としては姿とか像を意味するラテン語のイドラidola(単数形idolum,英語のアイドルidolの語源)の訳語であるが,ルネサンス期にG.ブルーノが本当のものを見えなくさせる先入見の意味でこの語を用い,ついでF.ベーコンが〈人間の知性をとりこにしている偶像〉を分析して,人類なるがゆえに人間本性にひそむものを〈種族の偶像idola tribus〉,個人のもつ先入見を〈洞窟の偶像idola specus〉,社会生活から起こる偏見を〈市場の偶像idola fori〉,学説から生じるものを〈劇場の偶像idola theatri〉と名付け,ありのままの認識が困難であることを示した。とくに生得的な偶像は取り除くことができないとベーコンは言っている。…
…1606年に人民訴訟裁判所首席裁判官に任ぜられると(1613まで),コモン・ローの至上性の強い主張者となり,以後国王,宗教裁判所,衡平法裁判所など国王大権および非コモン・ロー裁判所に対して,コモン・ロー,コモン・ロー裁判所の優位を主張し続ける。13年にはジェームズ1世が,クックの宿敵F.ベーコンの画策に従い,クックをその意に反して王座裁判所首席裁判官に昇任させ,併せて枢密顧問官に任じた。しかし15年に衡平法裁判所の管轄権をめぐり大法官エルズミアLord Ellesmereと争い,エルズミアおよびベーコンと結んだ国王の裁定に敗れ,首席裁判官も枢密顧問官も免ぜられた(1616。…
…人間もまた自然と同格のものではなく,むしろ自然の上にあってこれを支配し利用する権利を神からさずかったものとなる。こうした中世の自然観は,J.S.エリウゲナからシャルトル学派を通じ,R.ベーコンにいたる系譜において,しだいにはっきりした形をとる。近代西欧の自然観も本質的にはこの中世キリスト教世界に含まれていた自然観を継承し,いっそう方法的に自覚発展させたと言える。…
…この傾向はルネサンス時代にさらに進み,いわゆる〈地理上の発見〉によって珍しい動植物がヨーロッパにもたらされたうえ,印刷技術が進んだので各種の図譜が刊行され,ついに16世紀にゲスナーやアルドロバンディによって正確で網羅的な自然誌が出された。これらの自然研究はそれまでの学問体系(自由七科)になかったもので,これを受けてF.ベーコンは技術誌を含めた自然誌を新しい学問体系の冒頭に位置づけた。ベーコン自身は膨大な自然誌の草稿を残したが個人では完成できず,その夢は18世紀フランスの《百科全書》で実現した。…
…この実験精神を用意したものの一つが1543年のラテン語訳《アルキメデス全集》の刊行であった。F.ベーコンは実験を重視し,技術と数学の両契機の重要性を指摘してはいたが,自然を等質空間と見る視点を欠いていたので彼の実験は結局experienceの域を出ることができなかった。アルキメデスの方法を受けついで〈実験〉を実現したのは,オランダのS.ステフィン,イギリスのノーマンRobert NormanやW.ギルバート,イタリアのガリレイらであった。…
…ドイツのA.L.ウェゲナーが1912年に二つの論文として発表し,15年に《大陸と海洋の起源》と題する本として出版したのが本格的な学説としてとりあげられた最初とされる。 大西洋の両岸の海岸線の形がよく似ていることは1620年にイギリスの哲学者F.ベーコンによって指摘されていたが,長い間これは聖書に記された大洪水によって削られてできたと考えられていた。1858年に発表されたA.シュナイダーの考えは現代の大陸移動説や海洋底拡大説に近いところがあったが,天変地異観をぬけ出ていなかった。…
…コレクションはアリストテレスの文庫にならって,(1)詩,(2)歴史,(3)哲学,(4)修辞,(5)雑,に分類された。この分類の仕方は順序こそ違え,17世紀になってF.ベーコンが知識の分類にあげる3区分(哲学,歴史,詩)にほぼ対応する。 小アジアのペルガモンにもエウメネス2世の建てた図書館があったが,後年エジプト女王クレオパトラの歓心を買うため,ローマの将軍アントニウスがここの蔵書を彼女に与え,大量の本がアレクサンドリア図書館に入ったとの伝説が生まれた。…
… 書物の分類は人知の増大・拡張の反映でもあって,知識の分類と相たずさえながら進展してきた。図書分類の近世・近代における淵源は,17世紀のはじめF.ベーコンの行った知識分類である。彼は,学問の世界を人間心理の三つの働き,すなわち〈理性reason〉と〈記憶memory〉と〈想像imagination〉によって三大別した。…
…近代科学が誕生した17世紀にはどちらかというと後者の熱の運動論が支配的であった。F.ベーコンは《ノウム・オルガヌム》の中で,自然認識における正しい推論の例として熱の本性を問題にし,熱が小分子の運動であるという主張を詳しく展開している。R.ボイル,R.フック,I.ニュートンらもこの立場をとったが,当時は定性的な議論以上には出なかった。…
…F.ベーコンの著作。最初1620年に《大革新》の第2部として刊行され,著者死後の45年にオランダで再刊されたとき,この名が付けられた。…
…5世紀にマルティアヌス・カペラが後の二つを落として自由七科ができた。17世紀初頭に新しい学問や技術の発展をふまえてF.ベーコンが新しい分類(図3)を始め,フランスの《百科全書》(図4)に引きつがれたが,19世紀にA.コントが歴史的,論理的順序による分類(図5)を提唱して,これが現在も大学の教科編成や図書の分類に用いられている。劇を喜劇,悲劇,頌歌に分類したのは前3世紀の詩人カリマコスであるが,彼はアレクサンドリアの図書館司書だったので,図書目録のための分類であった。…
…またキリスト教にいう悪魔と関係をもつ魔術を黒(くろ)魔術black magic,天使や善き精霊の力を借りる術を白魔術white magicとして区別した。しかしF.ベーコンなどにより〈真正の魔術〉と呼ばれた自然魔術natural magicは,霊魂ではなく医薬や磁力や言語の表象機能を魔力の源泉とするもので,ルネサンス期の魔術観の中核を占めた。これらは,対象と手段とに応じて占星術や錬金術,カバラの術などに細分され,近代科学の有力な一源泉になる一方,星や太陽の影響力を正しく測定し人間の未来を予言する万物照応の術,すなわち手相,人相,骨相などを含む観相術をも発展させた。…
…17世紀初頭には著名な2例があらわれる。T.カンパネラ《太陽の都》(1623),F.ベーコン《ニュー・アトランティス》(1627)である。この両作品は,モアの《ユートピア》と同じく海を隔てた陸地もしくは島に場をさだめ,住民の明察とともに,素朴な自然性をも称揚している。…
…S.フロイトの孫),パイパーJohn Piper(1903‐92),ジョーンズDavid Jones(1895‐74)らはシュルレアリスムその他のモダニズムの影響を受けながら,戦後の具象絵画に新たな展開をもたらした。特にF.ベーコンは現代の不安や恐怖,悲劇を独特のデフォルメと色彩によって表現し,現代イギリスの最も注目すべき画家の一人となった。戦後のイギリスはまたアメリカに先んじて1955年ころからポップ・アートを生み出した。…
…技術的には中世人は透視図法を知っていた(10世紀アラビアの科学者イブン・アルハイサムの著作を通して12世紀に古代の透視図法の理論はヨーロッパに伝えられていた)が,神を絶対者とする中世の抽象的世界観は,自然界を客観的に描出することを必要としなかったと考えられる。ロジャー・ベーコンは《大著作(オプス・マユス)》(執筆1266‐68)で,古代とイスラム世界の技法を,神の調和的世界とその恩寵の遍在についての証明に利用している。したがって,ジョットはフランシスコ会の調和的・汎神論的世界観の影響下にアッシジで描いたフレスコにおいて,ポンペイ風の遠近法を復活させたが,そこには,外界への新たな関心と同時に,ベーコンに代表される,神の秩序への倫理的な証明として整合性ある空間を価値あるものとする,このような伝統があったためと考えることができる。…
…ヨーロッパでは12世紀のクレモナのゲラルドなどによって,アラビア語文献のラテン語訳が盛んに行われるようになり,火薬に関する知識もこうしたラテン語訳を通じてヨーロッパ人に知られた。主としてイギリス人学者のあいだで,R.ベーコンがヨーロッパで最初の火薬発明者とされているが,その知識はイスラムから得たものと思われる。しかし火薬の発明者をベーコンとする説には反対も多く,むしろドイツのフランシスコ会修道僧シュワルツBerthold Schwarz(?‐1384)が最初の発明者とする説が有力である。…
… 13世紀はキリスト教文芸復興として,多くの有名な神学者,論説家が輩出した。アルベルトゥス・マグヌス,その弟子であるトマス・アクイナス,フランシスコ会のR.ベーコンらはそのおもな者であるが,トマスには教皇ウルバヌス4世の命で聖体日のために作った数編のすぐれた賛歌や続唱があり,ことに《シオンよ,救主をたたえまつれ》は美しい詩である。しかし中世を通じ最大のラテン宗教詩は,トマーソ・ダ・チェラノTommaso da Celano(1190ころ‐1260ころ)の作とされる《怒りの日》で,最後の審判の日を歌い,今でも死者の葬送法会に常用される。…
…この議論は光学そのものの発展に寄与することが少なかったが,多くの哲学者や神学者を光学研究へと向かわせたのである。事実,R.ベーコン,ペッカム,ウィテロのような哲学者がこの学問に取り組んだ。彼らは,発光体や視覚対象の〈可視的形象〉が周囲の媒体中に次々と増殖されることによって伝播するというグロステストの説と,イブン・アルハイサムの説を融合させ,中世独自の光学理論を打ち立てたのである。…
…黒色火薬の原形は中国で戦国時代に発明されたといわれる。13世紀にはイギリスのR.ベーコンが黒色火薬の組成を記録している。19世紀後半におけるダイナマイトおよび無煙火薬の発明に至るまでの長い間,黒色火薬がほとんど唯一の発射薬や爆破薬として使われてきた。…
…自然科学では,アリストテレスの諸著やユークリッドの最初の部分などが学ばれた。その間にも,ときには無限についての考察がなされ,イギリスのR.ベーコンは数学が重要な学問であることや,自然学の研究では実験がたいせつであることを説いた。リジューの司教となったニコル・オレームNicole Oresmeが温度の変化をグラフに表したり,分数指数を導入したりしたのは,当時としては先端的な発想であった。…
… 13世紀には,このようにしてとり入れられたギリシア,アラビアの科学の遺産の上に,ようやく西欧科学の独自な活動が開始される。ヨルダヌスは棹秤や斜面の静力学的問題を〈仕事〉や〈モーメント〉の概念を内包する原理によってみごとに証明し,グロステストは数学的演繹と経験的実証とを結びつける数学的経験科学の独自の方法論を展開し,その弟子R.ベーコンはこの方法論をさらに発展させ,光学の研究においてそれを実践した。またこのとき新たに受容されたアリストテレスの自然学は,アルベルトゥス・マグヌスやトマス・アクイナスに大きな影響を与え,科学知識の原理的再編成がなされた。…
…実際は急速に実用化されながら火器に対する違和感が永く残ったためで,砲を〈悪魔の武器〉と呼んでいる例があるし,捕虜となった砲手は惨殺されることが多かったという。現存する最古の黒色火薬処方はR.ベーコンのもので(1267ごろ),それには硝石41.2,硫黄29.4,木炭末29.4の配合比が示されている。1400年ごろの処方例では71.0,12.9,16.1と現在のそれに酷似したものがあるから,火薬の製法は急速に発達したのである。…
…【高田 孝】
[歴史とファッション]
セネカ(前4ころ‐後65)はローマ図書館で水球儀を通して文字を拡大して本を読んだという。イギリスのR.ベーコンが《大著作》(1266‐68執筆)でレンズの効用を書いたことから彼を始祖とする説も多いが,他にフィレンツェの貴族サルビノ・デリ・アルマティ,ピサのアレッサンドロ・デラ・スピーナ(ともに14世紀初めに没)などの説もある。また,13世紀初めの中国の文献《洞天清録》に靉靆(あいたい)(眼鏡)の項があることから中国を発生の地とする説もある。…
…中世以降には錬金術師がレトルトの中で合成するという矮人ホムンクルスの伝説も流布した。またR.ベーコンは〈青銅の頭〉と呼ばれる人工の頭部をつくり予言を行わせたという。機械じかけの人形を製作することは,それ以降近世にかけて特に盛んに行われるようになり,近代的ロボットの前史を形成した。…
…これを防ぐためバイオクリーンルームという空気ろ過器を用いた塵埃(じんあい)や細菌のひじょうに少ない室内でスライスパックする方法が普及しつつある。【森田 重広】
[食肉加工業]
牛肉,豚肉,鶏肉などの肉類を原材料として,ハム,ベーコン,ソーセージなどの加工品を製造する食品工業の一部門。今日の食肉加工品に近いものがいつごろ日本で製造されるようになったかは定かでない。…
※「ベーコン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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