吉田兼好(読み)よしだ・けんこう

朝日日本歴史人物事典の解説

吉田兼好

没年:文和1/正平7以後(1352)
生年:弘安6頃(1283)
鎌倉・南北朝時代歌人,随筆家。俗名は卜部兼好,法名は音読して兼好。「吉田」の称は吉田神社の神主の家の出身であることにちなむ冠称で,苗字ではないのだから,吉田兼好よりは兼好法師と呼ぶ方が正しい。治部少輔兼顕の子。堀川家の家司となり,正安3(1301)年,後二条天皇が即位すると,天皇の母である西華門院が堀川具守の子であった縁により,六位の蔵人として仕える。延慶1(1308)年,天皇の死去に遭い宮廷を退く。正和2(1313)年9月以前に出家,理由は不明。歌人としては『続千載集』に1首入集し,二条為世門の和歌四天王のひとりに数えられる。康永2/興国4(1343)年ごろ成立の家集『兼好法師集』は自選で285首と連歌2句を収める。勅撰集に18首入集している。 諸説あるが,元弘1(1331)年ごろ成立とみられる主著『徒然草』は「つれづれなるままに,日暮らし,硯にむかひて」で始まる序段以下,第1段から第243段まで全244章段からなる随筆集で,その内容は無常と求道,自然観,住環境,趣味,人間観察,人生訓,有職故実と考証,逸話や滑稽談など多岐にわたり,「道念の書」「処世哲学の書」「趣味の本」とも評されるが,それぞれに一理あって作品の意図をいいあてている。宮廷を讃美し,古き世を慕い,物語的な場面に立ち会った思い出を語り,有職や考証を書き留めるのは,その若き日の学問や関心を伝えており,関東での見聞や関東人を話題にするのは,少なくとも2度,武蔵国金沢(横浜市金沢区)に下った経験によるもので,いずれも彼の自己形成に深くかかわるという点で注目される。『摩訶止観』巻5上の「心起こるは必ず縁に託す」や巻4下の「閑居静処」にちなみ,第58段で「心は縁にひかれて移るものなれば,閑ならでは道は行じがたし」と主張しているが,自身は足利尊氏の執事高師直 のもとに出入りし,『太平記』巻21「塩冶判官讒死事」によると,邪恋の恋文の代筆をして失敗したと伝えられており,一筋縄ではとらえられない人物であるのは確かである。<参考文献>桑原博史『人生の達人兼好法師』,五味文彦『中世のことばと絵』

(三角洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

とっさの日本語便利帳の解説

吉田兼好

命長ければ辱[はじ]多し。長くとも、四十[よそじ]に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。\『徒然草
吉田兼好(兼好法師。歌人。一二八三頃~一三五二以後)のことば。

出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉田兼好 よしだ-けんこう

1283ごろ-? 鎌倉-南北朝時代の歌人,随筆家。
弘安(こうあん)6年ごろの生まれ。生家は京都吉田神社の神職。卜部兼顕(うらべ-かねあき)の子。慈遍の弟。卜堀川家,のち後二条天皇につかえて左兵衛佐(さひようえのすけ)となる。30歳ごろ出家遁世(とんせい)し,二条為世(ためよ)に師事。為世門四天王のひとりにあげられ,「続(しよく)千載和歌集」以下の勅撰集に18首はいる。50歳前後に随筆「徒然草(つれづれぐさ)」をまとめたといわれる。文和(ぶんな)元=正平(しようへい)7年(1352)以後に死去。家集に「兼好法師集」。
【格言など】手枕(たまくら)の野辺の草葉の霜枯に身はならはしの風の寒けさ(「新続古今和歌集」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

吉田兼好【よしだけんこう】

鎌倉・南北朝期の歌人,随筆家。俗名卜部兼好(うらべかねよし)。卜部氏は神官の家。京都吉田に住み,吉田とも称した。下級公家の出で,30歳ごろ出家。二条為世に和歌を学び,《続千載集》以下の勅撰集に入集。頓阿浄弁・慶雲と合わせ和歌四天王と呼ばれた。儒教・老荘の思想にも通じ,《徒然(つれづれ)草》は《枕草子》とともに随筆文学の代表とされる。家集に《兼好法師自撰家集》がある。晩年は,高師直に近侍するなど足利幕府を中心とする武家方に接近していたらしい。
→関連項目双ヶ丘

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

精選版 日本国語大辞典の解説

よしだ‐けんこう【吉田兼好】

鎌倉後期から南北朝時代の歌人。俗名は卜部兼好(かねよし)。二条派。堀河具守の家司(けいし)となり、宮廷に出仕して蔵人・左兵衛佐に至ったが、のち出家。随筆「徒然草」に、その哲学的・宗教的人生観を展開する。二条家の藤原為世の弟子として、和歌四天王の一人と称せられ、「兼好自撰家集」がある。弘安六頃~観応三年以後(一二八三頃‐一三五二以後

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版の解説

吉田兼好
よしだけんこう

1283〜1350?
鎌倉末期・南北朝時代の随筆家・歌人
兼好法師ともいう。俗名卜部兼良 (うらべかねよし) 。京都吉田神社の神官の子。北面の武士であったが出家し,晩年京都双岡 (ならびのおか) に住む。二条派の頓阿 (とんあ) と親しく,和歌四天王の一人に数えられた。歌は人事を詠んだものが多い。『徒然草 (つれづれぐさ) 』の作者として有名。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

よしだけんこう【吉田兼好】

1283?‐1353?(弘安6?‐正平8?∥文和2?)
鎌倉末~南北朝期の歌人,随筆家。本名は卜部兼好(うらべのかねよし)。出家ののち俗名を兼好(けんこう)と音読して法名とした。武蔵国称名寺(,横浜市金沢区)長老あての書状断簡に〈故郷忘じ難し〉とあることから,関東で生まれたとする説もあるが,それは〈故郷〉の語義〈住みなれた地〉を誤解したもので,京都で生まれ,関東で若い時期を過ごしたのであろう。父兼顕は治部少輔で,兄弟に大僧正慈遍,兼雄がいる。兼好は宮廷に仕え,祖父の代からかかわりの深い堀河家の諸大夫ともなったが,1313年(正和2)ころ出家した。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内の吉田兼好の言及

【徒然草】より

…鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。…

※「吉田兼好」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

国民投票法

正式名称は「日本国憲法の改正手続に関する法律」。平成19年法律第51号。2007年(平成19)5月18日に制定され、施行は3年後の2010年5月18日である。この法律は、日本国憲法第96条に定める日本...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android