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和歌四天王 わかしてんのう

4件 の用語解説(和歌四天王の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

和歌四天王
わかしてんのう

和歌のある流派などで,特にすぐれた4人を選んでこれをグループとして総称する呼び方。普通,二条家の和歌四天王として,二条為世の門弟であった浄弁頓阿慶運兼好の4人をさすことが多い。

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デジタル大辞泉の解説

わか‐してんのう〔‐シテンワウ〕【和歌四天王】

和歌にすぐれた四人の称。鎌倉末期から南北朝時代に活躍した二条派頓阿慶運浄弁兼好。また、江戸時代に京都に住んだ澄月慈延小沢蘆庵伴蒿蹊(ばんこうけい)

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大辞林 第三版の解説

わかしてんのう【和歌四天王】

和歌に優れた四人。
鎌倉末から南北朝時代にかけての二条派の歌僧、頓阿・慶運・浄弁・吉田兼好の称。為世門の四天王。
江戸後期、京都にいた四人の歌人。澄月(1714~1798)・慈延(1748~1805)・小沢蘆庵・伴蒿蹊ばんこうけいの称。平安の四天王。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

和歌四天王
わかしてんのう

各時代、各門派の和歌に優れた4人を称するが、和歌史では、鎌倉末期から南北朝時代の歌壇で活躍した二条為世(ためよ)門の4人の法体歌人をさすのが普通。『今川了俊(りょうしゅん)歌学書』によると、浄弁(じょうべん)、頓阿(とんあ)、兼好、能与(のうよ)をあげているが、『正徹(しょうてつ)物語』では早く世を去った能与にかわり、浄弁の子慶運(きょううん)が入る。彼らは為世、為定らの率る二条派歌壇に重きをなした。後世、各人の秀歌により「沢田の頓阿」「芦の葉の浄弁」「手枕(たまくら)の兼好」「裾野(すその)の慶運」とよばれた。また、江戸時代では澄月(ちょうげつ)、慈延(じえん)、小沢蘆庵(ろあん)、伴蒿蹊(ばんこうけい)を和歌四天王と称する。[稲田利徳]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の和歌四天王の言及

【慶運】より

…青蓮院に仕え,後に法印に至る。吉田兼好,頓阿,浄弁とともに二条派為世門の和歌四天王の一人。貴顕の信望を得て公武歌界で活躍したが,生前は勅撰集に2首入集のみ(死後17首)で,孤高不遇だった。…

【四天王】より

…須弥山(しゆみせん)の中腹にある四天王天(または四大王天,四王天)の四方に住んで仏法を守護する4体の護法神。四大天王,四王,護世四王ともいう。東方に持国天(提頭頼吒(だいずらた)の訳),南方に増長天(毘楼勒叉(びるろくしや)),西方に広目天(毘楼博叉(びるばくしや)),北方に多聞天(毘沙門)が位置する。《増一阿含経(ぞういちあごんきよう)》や《阿育王経(あいくおうきよう)》には,四天王が釈尊のもとに現れて帰依したことや,釈尊の涅槃(ねはん)の後に仏法を守護することを釈尊から託されたことを記し,《金光明最勝王経》には,四天王が釈尊に対し本経を信奉する人々とその国家を守護することを誓ったことが説かれている。…

【頓阿】より

…《新拾遺和歌集》の撰の途中で没した二条為明を継いで同集を完成した。兼好,浄弁,慶雲とともに,和歌四天王と称される。家集に《草庵集》《続草庵集》,歌学書に《井蛙(せいあ)抄》や二条良基と問答形式の《愚問賢註》などがある。…

※「和歌四天王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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