出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
各時代、各門派の和歌に優れた4人を称するが、和歌史では、鎌倉末期から南北朝時代の歌壇で活躍した二条為世(ためよ)門の4人の法体歌人をさすのが普通。『今川了俊(りょうしゅん)歌学書』によると、浄弁(じょうべん)、頓阿(とんあ)、兼好、能与(のうよ)をあげているが、『正徹(しょうてつ)物語』では早く世を去った能与にかわり、浄弁の子慶運(きょううん)が入る。彼らは為世、為定らの率る二条派歌壇に重きをなした。後世、各人の秀歌により「沢田の頓阿」「芦の葉の浄弁」「手枕(たまくら)の兼好」「裾野(すその)の慶運」とよばれた。また、江戸時代では澄月(ちょうげつ)、慈延(じえん)、小沢蘆庵(ろあん)、伴蒿蹊(ばんこうけい)を和歌四天王と称する。
[稲田利徳]
…青蓮院に仕え,後に法印に至る。吉田兼好,頓阿,浄弁とともに二条派為世門の和歌四天王の一人。貴顕の信望を得て公武歌界で活躍したが,生前は勅撰集に2首入集のみ(死後17首)で,孤高不遇だった。…
…須弥山(しゆみせん)の中腹にある四天王天(または四大王天,四王天)の四方に住んで仏法を守護する4体の護法神。四大天王,四王,護世四王ともいう。東方に持国天(提頭頼吒(だいずらた)の訳),南方に増長天(毘楼勒叉(びるろくしや)),西方に広目天(毘楼博叉(びるばくしや)),北方に多聞天(毘沙門)が位置する。《増一阿含経(ぞういちあごんきよう)》や《阿育王経(あいくおうきよう)》には,四天王が釈尊のもとに現れて帰依したことや,釈尊の涅槃(ねはん)の後に仏法を守護することを釈尊から託されたことを記し,《金光明最勝王経》には,四天王が釈尊に対し本経を信奉する人々とその国家を守護することを誓ったことが説かれている。…
…《新拾遺和歌集》の撰の途中で没した二条為明を継いで同集を完成した。兼好,浄弁,慶雲とともに,和歌四天王と称される。家集に《草庵集》《続草庵集》,歌学書に《井蛙(せいあ)抄》や二条良基と問答形式の《愚問賢註》などがある。…
※「和歌四天王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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