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二条為世 にじょう ためよ

美術人名辞典の解説

二条為世

鎌倉末期の歌人・公卿。藤原定家曽孫。正二位権大納言。後宇多天皇から後醍醐天皇まで六代の天皇に仕える。後二条天皇嘉元元年『新後撰集』、後醍醐天皇の元応元年には『続千載集』を撰進し、歌壇の長老として重んじられた。晩年剃髪し法名を明釈と称した。著書に『和歌庭訓抄』がある。暦応元年(1338)歿、88才。

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デジタル大辞泉の解説

にじょう‐ためよ〔ニデウ‐〕【二条為世】

藤原為世

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百科事典マイペディアの解説

二条為世【にじょうためよ】

鎌倉後期の歌人。為氏の子。藤原為世とも。大覚寺統と結び,《新後撰集》《続千載集》の撰者となる。花園天皇のもと,《玉葉集》をめぐっては,持明院統と結ぶ京極為兼と論争し,敗れる。
→関連項目玉葉和歌集吉田兼好

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

二条為世 にじょう-ためよ

1250-1338 鎌倉-南北朝時代の公卿(くぎょう),歌人。
建長2年生まれ。二条為氏の長男。母は飛鳥井教定(あすかい-のりさだ)の娘。祖父藤原為家,父に和歌をならう。後宇多上皇の命で「新後撰和歌集」「続(しょく)千載和歌集」を撰集。弟子に頓阿(とんあ),浄弁らがいる。連歌もよくした。正二位,権(ごんの)大納言。建武(けんむ)5=延元3年8月5日死去。89歳。著作に「和歌庭訓(ていきん)」「飛月集」など。
【格言など】鵜かひ舟瀬瀬さしのぼるしら波にうつりてくだるかがり火のかげ(「続千載和歌集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

二条為世

没年:暦応1/延元3.8.5(1338.9.18)
生年:建長2(1250)
鎌倉・南北朝時代の歌人,和歌宗匠。権大納言為氏の子。後宇多天皇以下の大覚寺統に仕え,権大納言に至る。後宇多上皇の命により,嘉元1(1303)年『新後撰集』,元応2(1320)年『続千載集』を編纂。その間,持明院統の花園天皇の即位により,勅撰集選者の座をめぐり京極為兼と対立,延慶3(1310)年『延慶両卿訴陳状』を著す。また浄弁,兼好,頓阿,慶運など為世門の和歌四天王をはじめ多くの歌人を養成。私選集『続現葉集』も編纂するなど,和歌の普及に尽くした。歌論書に『和歌庭訓』があり,『続拾遺集』以下の勅撰集に177首入集。<参考文献>井上宗雄『中世歌壇史の研究―南北朝期―』

(三角洋一)

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世界大百科事典 第2版の解説

にじょうためよ【二条為世】

1250‐1338(建長2‐延元3∥暦応1)
鎌倉末期の歌人。藤原為氏の嫡子で,為家の孫。彼に始まる二条家の平淡美を重んじる歌風は,中世全期を通じ,歌壇の主流となる。《玉葉集》撰進では,持明院統と結ぶ京極為兼と〈延慶両卿訴陳状〉を交わして争い,敗れた。しかし,大覚寺統の後醍醐天皇即位により地位が安定し,《続千載和歌集》の撰者となった。歌論家としてもすぐれ,《和歌庭訓》がある。頓阿,吉田兼好らも門人。【上条 彰次】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

二条為世
にじょうためよ

[生]建長2(1250)
[没]延元3=暦応1(1338).8.5. 高野山
鎌倉時代後期の公卿,歌人。父は為氏。母は飛鳥井教定の娘。正二位,権大納言。元徳1 (1329) 年出家。法名,明釈。父の指導のもとに,御子左家 (みこひだりけ) の嫡流として宮廷歌界に重きをなしたが,大覚寺統に出仕したため,持明院統の天皇の時代には比較的疎外された。嘉元1 (03) 年後宇多上皇の院宣で『新後撰和歌集』を奏覧。延慶3 (10) 年には京極為兼が勅撰和歌集撰者となることをはばもうとして『延慶両卿訴陳状』の争いがあったが,失敗に終った。元応2 (20) 年後宇多法皇の院宣で『続千載和歌集』を奏覧。建治2 (1276) 年『住吉社三十五番歌合』をはじめ,多くの歌合,歌会に関係し,元亨4 (1324) 年の『石清水社歌合』では判者となった。嘉暦1 (26) 年歌論書『和歌庭訓』を著わし,『和歌用意条々』 (20~26) もその著という。『続拾遺集』以下に 177首入集。家集は伝わらない。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

二条為世
にじょうためよ
(1250―1338)

鎌倉後期の歌人。法名明釈(みょうしゃく)。正二位権大納言。藤原為氏(ためうじ)の子。父や祖父為家に和歌を学び、優美平明な歌風をよしとする伝統的立場にたった。為氏・為世の家系は、二条家と称せられる堂上(とうしょう)歌道家の嫡流で、庶流の京極(きょうごく)家や冷泉(れいぜい)家とは鋭く対立した。とりわけ、清新な歌風で持明院(じみょういん)統に信任された京極為兼(ためかね)とは激しく対立し、また細川庄(しょう)の領有問題をめぐって冷泉為相(ためすけ)と生涯不和であった。為世は大覚寺統の後宇多(ごうだ)院に支持され、その命を受けて1303年(嘉元1)『新後撰(しんごせん)集』を、20年(元応2)『続千載(しょくせんざい)集』を撰進した。娘為子も歌人として知られ、後醍醐(ごだいご)天皇の寵(ちょう)を受けて尊良(たかなが)、宗良(むねなが)両親王を生んだ。門下の四天王として頓阿(とんあ)、浄弁、兼好(けんこう)、慶運(きょううん)がおり、為世の子孫や門流は中世歌壇の主流派を形成した。歌論書に『和歌庭訓(ていきん)』、家集に『為世集』がある。連歌も巧みで、その作品は『菟玖波(つくば)集』にみえる。[井上宗雄]
 鵜飼舟(うかひぶね)瀬々(せぜ)さしのぼる白波に映りてくだる篝火(かがりび)のかげ
『井上宗雄著『中世歌壇史の研究 南北朝期』(1965・明治書院)』

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世界大百科事典内の二条為世の言及

【伊勢新名所歌合絵巻】より

…詞書は左右の和歌と判詞から成る。判詞は二条為世の自筆。絵は趣深い四季の景物を描いており,平安時代名所絵の伝統をひく。…

※「二条為世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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