デジタル大辞泉
「浄弁」の意味・読み・例文・類語
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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浄弁 (じょうべん)
鎌倉末・南北朝初期の歌僧。生没年不詳。1340年(興国1・暦応3)ころ90歳前後で没か。出自不明,もと叡山の僧で後に法印となる。二条派為世門の四天王の一人。とくに後半生に活躍し,子の慶運らに学統を伝えた。著作に《古今和歌集註》がある。今に残る和歌は少なく,《続千載集》以下の21首,《浄弁集》の41首がある。修辞にたけた典雅清澄な作が多い。〈湊江の氷に立てる芦の葉に夕霜さやぎ浦風ぞ吹く〉(《風雅集》)。
執筆者:伊藤 敬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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浄弁
じょうべん
生没年未詳。鎌倉末・南北朝時代の歌僧。出自、経歴など不明な点が多いが、頓阿(とんあ)、兼好(けんこう)、慶運(きょううん)などとともに、二条為世(ためよ)門の「和歌四天王(してんのう)」と称された。もと叡山(えいざん)の僧で、権律師(ごんのりっし)に至る。1327年(嘉暦2)5月以降に九州に下向、私撰(しせん)集『臨永集(りんえいしゅう)』や『松花集(しょうかしゅう)』の撰集にも関係したとされる。1344年(興国5・康永3)の『高野山金剛三昧院(こうやさんこんごうさんまいいん)奉納和歌』の作者になっているが、これ以降まもなく、90歳前後の高齢で没したと推定される。和歌は『続千載集(しょくせんざいしゅう)』以下の勅撰集に21首入集(にっしゅう)。
杉立てる門田の面の秋風に月影寒き三輪の山本
[稲田利徳]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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浄弁 じょうべん
?-? 鎌倉-南北朝時代の僧,歌人。
天台宗。比叡(ひえい)山でまなび,権(ごんの)律師,法印にのぼる。二条為世(ためよ)門の和歌四天王のひとり。元亨(げんこう)4年(1324)為世から「古今和歌集」「後撰和歌集」の家説を伝授され,子の慶運らにつたえた。歌は「続(しょく)千載和歌集」以下6集の勅撰集に収録されている。康永3=興国5年(1344)以後90歳前後で死去したらしい。著作に「古今和歌集註」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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浄弁
じょうべん
[生]?
[没]興国5=康永3(1344)頃?
南北朝時代の歌僧,法印。二条家の和歌四天王の一人だが,4人のうち経歴が最もはっきりしない。同じく四天王の一人の慶運の父。『続千載集』以下の勅撰集に 21首の作品がみえる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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浄弁
じょうべん
?〜1356
南北朝時代の歌人
慶運の父。天台宗の僧。伝記不詳。二条家流の和歌を学び,頓阿 (とんあ) ・慶運・吉田兼好と並んで「和歌四天王」と称された。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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