浄弁(読み)ジョウベン

デジタル大辞泉 「浄弁」の意味・読み・例文・類語

じょうべん〔ジヤウベン〕【浄弁/浄辨】

[?~1356?]鎌倉末・南北朝時代歌人天台宗の僧。青蓮しょうれん院の執当法師。慶運きょううんの父。和歌を二条為世に学び、頓阿とんあ慶運・兼好とともに和歌四天王と称された。

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改訂新版 世界大百科事典 「浄弁」の意味・わかりやすい解説

浄弁 (じょうべん)

鎌倉末・南北朝初期の歌僧生没年不詳。1340年(興国1・暦応3)ころ90歳前後で没か。出自不明,もと叡山の僧で後に法印となる。二条派為世門の四天王一人。とくに後半生に活躍し,子の慶運らに学統を伝えた。著作に《古今和歌集註》がある。今に残る和歌は少なく,《続千載集以下の21首,《浄弁集》の41首がある。修辞にたけた典雅清澄な作が多い。〈湊江の氷に立てる芦の葉に夕霜さやぎ浦風ぞ吹く〉(《風雅集》)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浄弁」の意味・わかりやすい解説

浄弁
じょうべん

生没年未詳。鎌倉末・南北朝時代の歌僧。出自、経歴など不明な点が多いが、頓阿(とんあ)、兼好(けんこう)、慶運(きょううん)などとともに、二条為世(ためよ)門の「和歌四天王(してんのう)」と称された。もと叡山(えいざん)の僧で、権律師(ごんのりっし)に至る。1327年(嘉暦2)5月以降に九州に下向私撰(しせん)集『臨永集(りんえいしゅう)』や『松花集(しょうかしゅう)』の撰集にも関係したとされる。1344年(興国5・康永3)の『高野山金剛三昧院(こうやさんこんごうさんまいいん)奉納和歌』の作者になっているが、これ以降まもなく、90歳前後の高齢で没したと推定される。和歌は『続千載集(しょくせんざいしゅう)』以下の勅撰集に21首入集(にっしゅう)。

 杉立てる門田の面の秋風に月影寒き三輪の山本
[稲田利徳]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浄弁」の解説

浄弁 じょうべん

?-? 鎌倉-南北朝時代の僧,歌人。
天台宗。比叡(ひえい)山でまなび,権(ごんの)律師,法印にのぼる。二条為世(ためよ)門の和歌四天王のひとり。元亨(げんこう)4年(1324)為世から「古今和歌集」「後撰和歌集」の家説を伝授され,子の慶運らにつたえた。歌は「続(しょく)千載和歌集」以下6集の勅撰集に収録されている。康永3=興国5年(1344)以後90歳前後で死去したらしい。著作に「古今和歌集註」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浄弁」の意味・わかりやすい解説

浄弁
じょうべん

[生]?
[没]興国5=康永3(1344)頃?
南北朝時代の歌僧,法印。二条家の和歌四天王の一人だが,4人のうち経歴が最もはっきりしない。同じく四天王の一人の慶運の父。『続千載集』以下の勅撰集に 21首の作品がみえる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「浄弁」の解説

浄弁
じょうべん

?〜1356
南北朝時代の歌人
慶運の父。天台宗の僧。伝記不詳。二条家流の和歌を学び,頓阿 (とんあ) ・慶運・吉田兼好と並んで「和歌四天王」と称された。

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