長唄。1829年(文政12)4月,長唄を歌舞伎から独立してきかせる新しいこころみとして作られた。作曲4世杵屋(きねや)六三郎。作詞者不明。当時の江戸の名所を詠み込んでいるが,8ヵ所には限られていない。本調子の前弾きにはじまり,日本橋の朝,御殿山の花見,高輪の舟の行き来をうたった後に〈佃の合方〉がある。二上りになって駿河台から宮戸川,浅草隅田川の風景を述べて〈砧の合方〉となる。三下りになって吉原から上野忍岡の風物をのべ,〈楽の合方〉があって弁財天の尊さをうたって終わる。曲が変化に富んでおり,唄も三味線もメロディが美しいこと,佃,砧,楽の合方と三つも器楽的な合の手があり,三味線が単なる唄の伴奏の域を脱して唄と対等の地位に立って活躍し,器楽的な美しさを発揮していることなど〈お座敷長唄〉の先駆をなした代表曲である。特に上調子がよくできていて,伴奏効果がすばらしい。
執筆者:浅川 玉兎
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長唄(ながうた)の曲名。通称「八景」。1829年(文政12)4世杵屋(きねや)六三郎作曲。演奏会用長唄の代表曲で、『秋色種(あきのいろくさ)』と並んで重要な作品。歌詞は、江戸の風物を日本橋、御殿山、駿河(するが)台、浅草寺(せんそうじ)、吉原、上野と次々に詠み込んだにすぎないが、ところどころに合方(あいかた)を入れて、「佃(つくだ)の合方」で川を渡る舟の情景を表したり、「砧(きぬた)の合方」や「楽(がく)の合方」では立(たて)三味線と上(うわ)調子の旋律の絡み合いにくふうを凝らして、「聞く長唄」としての器楽性を意図的に求めて作曲したことがわかる。当初はその新しさゆえ、だいぶ物議をかもしたようである。三味線の調弦は、本調子→二上り→三下り。
[茂手木潔子]
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…さらにこの時代には,舞踊の伴奏音楽という制約から離れた鑑賞用長唄(お座敷長唄)が誕生した。これは長唄演奏者の芸術的意欲の高揚から生まれた新傾向の長唄で,このころには《老松(おいまつ)》《吾妻八景(あづまはつけい)》《外記節石橋(げきぶししやつきよう)》などが作曲されている。また,長い間,市川家荒事舞踊の伴奏音楽をつとめていた大薩摩節が衰退し,1826年(文政9)その家元権が4世杵屋三郎助(のちの10代目杵屋六左衛門)に預けられた結果,大薩摩節の旋律を加味した長唄が積極的に作曲されるようになった。…
※「吾妻八景」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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