出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、明(みん)代の画家。載文進(たいぶんしん)に次いで浙派(せっぱ)様式の流れに重要な役割を果たし、15世紀後半から16世紀初めにかけての浙派ないし画院を代表する山水・人物画家である。字(あざな)は次翁、士英。号は魯夫(ろふ)、別に小僊(小仙)(しょうせん)とも号す。江夏(湖北省武昌(ぶしょう))の人。幼少に孤児となり、銭昕(せんきん)に養われて、金陵(南京(ナンキン))で画家としてたち、成化(せいか)年間(1465~87)憲宗の画院に入って仁智殿(じんちでん)待詔となるが、憲宗が崩ずると放帰された。1499年、孝宗の画院に召され、孝宗より「画状元」の印を賜ったが、2年後南京に帰った。性格は豪放、大の愛酒家で、生活は奔放だったと伝える。画風も豪放、荒々しい筆致で、強烈な墨法を巧みに用い、次代に影響を与えている。
[星山晋也]
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
… その由来は,画院系画家の始祖とされる戴文進が浙江の出身であること,画院系画家の出身地が,採用における地縁・血縁もあって浙江が多いことなどによるが,浙派と呼ばれる画家のすべてが戴文進系ではないし,その出身地も,様式や技法も多様である。董其昌らによって目標とされ,はなはだしくは狂態邪学とまでけなされた画家たちは,呉偉(湖北),王諤,鍾礼,朱端,汪質(以上浙江),汪肇(安徽),張路(河南),蔣嵩(江蘇),時儼,鄭顚仙,張復(復陽),沈仕,陳鶴,姚一貫(以上浙江)などで,とくに呉偉は筆墨の技巧を誇示し,彼以後の浙派では誇張的な表現と粗放な筆墨法が顕著となった。彼らは知性的で平明・典雅を尊ぶ文人画側からは俗悪と軽蔑されたが,この軽蔑は技巧・着想においては平凡な呉派文人画の側のコンプレクスの表われでもあり,万暦以後の文人画は浙派の技巧を陰に陽に取り入れている。…
※「呉偉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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