呉文聡(読み)クレ アヤトシ

20世紀日本人名事典 「呉文聡」の解説

呉 文聡
クレ アヤトシ

明治期の統計学農商務省統計課長。



生年
嘉永4年11月27日(1851年)

没年
大正7(1918)年9月19日

出生地
江戸

学歴〔年〕
大学南校(現・東京大学)中退

主な受賞名〔年〕
勲四等瑞宝章

経歴
明治初年にアメリカ統計学を日本に紹介。明治6年工部省入省、8年正院十三等出仕に任じられた後、統計事務に携わるほか、学習院、高商、東京専門学校、慶応義塾などで統計学を講じた。種々の官職や鉄道会社、新聞社勤務などを経て、31年農商務省統計課長。33年内閣統計局審査官となり、アメリカの国勢調査視察。43年国勢調査準備委員会幹事となり、国勢調査実施準備促進に尽した。その間、明治8年以来近代国家育成に欠かせぬ統計を、政府・民間に理解させ、その確立に努め、国勢調査の生みの親といわれる。36年の論文「物価賃銀生計度」は賃金統計が単なる賃金率だけでなく、賃金所得統計でなければならないとした名論文で知られる。著書に「呉文聡著作集」(全3巻)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「呉文聡」の意味・わかりやすい解説

呉文聡(くれぶんそう)
くれぶんそう
(1851―1918)

明治・大正期の統計学者。医師呉黄石(こうせき)の次男として江戸・青山に生まれる。幼時漢学を、その後箕作麟祥(みつくりりんしょう)について英学を学び、大学南校に入ったが、中途で退学した。1875年(明治8)政府太政官(だじょうかん)正院の政表課に採用されて以来、内務省、農商務省などおもに官庁にあって草創期の統計の開発整備に従事し、指導的役割を果たした。その間、表記学社を創立、『統計集誌』を発行して統計の普及に努めるとともに、講演・教育活動を通じて後進の育成にも力を尽くした。また海外の統計学や統計事情を積極的に研究、紹介するとともに、『統計詳説』(1887)、『統計原論』(1889)、『経済統計学』2巻(1902)などの著作や多数の統計学に関する論文を執筆発表し、わが国統計および統計学の発展のために全生涯を捧(ささ)げた。

[木村太郎]

『『呉文聡著作集』全3巻(1973・日本経営研究所)』『大橋隆憲著『日本の統計学』(1975・法律文化社)』


呉文聡(くれあやとし)
くれあやとし

呉文聡

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「呉文聡」の解説

呉文聡

没年:大正7.9.19(1918)
生年:嘉永4.11.27(1851.12.19)
明治期,統計学の導入と普及に努めた先駆者。江戸青山で学者の一門に生まれる。明治8(1875)年太政官正院の政表課に入り杉亨二のもとで気象統計,貿易統計などを手がけ,内務省衛生局に移り衛生統計,駅逓局で運輸統計,農商務省で産業統計など,広く統計の整備改善を行った。13年,東京統計協会の設立に参画し『統計集誌』の編修に当たる。統計学の著書論文も多く,18年には東京専門学校(早稲田大学),専修学校(専修大学),24年からは学習院で統計学を講義する。また国勢調査の実現に努力し,35年に関係法律の成立をみた。<参考文献>日本経営史研究所『呉文聡著作集』

(永山貞則)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「呉文聡」の解説

呉文聡 くれ-あやとし

1851-1918 明治-大正時代の統計学者。
嘉永(かえい)4年11月27日生まれ。呉黄石(こうせき)の次男。内務省,農商務省などで統計の開発・整備につとめる。明治13年東京統計協会の設立にくわわり,「統計集誌」を編集。国勢調査の準備に指導的役割をはたした。大正7年9月19日死去。68歳。江戸出身。著作に「統計原論」「経済統計学」など。

呉文聡 くれ-ぶんそう

くれ-あやとし

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「呉文聡」の解説

呉 文聡 (くれ ぶんそう)

生年月日:1851年11月27日
明治時代の統計学者
1918年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の呉文聡の言及

【統計】より

…これが81年には統計院となり,85年内閣制度の発足とともに内閣統計局となった。この間,杉亨二(すぎこうじ)や呉文聡(くれあやとし)(1851‐1918)が果たした役割には大きなものがある。こうして1920年には初めて国勢調査が行われるなど,しだいに統計が整備されたが,第2次大戦中に制度はほとんど解体し,政府自身信頼できる数字が得られなくなった。…

【呉秀三】より

…日本の近代精神医学の基礎を築いた人。江戸に生まれる。父は呉黄石(浅野藩医),母はせき(洋学者箕作阮甫(みつくりげんぽ)の長女)。1890年に東京大学医科大学卒業。その後,精神病学を榊俶のもとで学び,97年に渡欧し,ウィーン,ハイデルベルク,パリなどに留学した。4年間の留学の後半は,E.クレペリンのもとで学び,その精神病分類の体系を日本に導入した。1901‐25年の間,東京帝国大学医科大学教授として精神病学講座を担当し,1903年には三浦謹之助とともに日本神経学会を創立した。…

※「呉文聡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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