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善光寺地震 ぜんこうじじしん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

善光寺地震
ぜんこうじじしん

弘化4(1847)年3月24日に現在の長野県北部から新潟県にかけて発生した地震。震央は北緯 36.7°,東経 138.2°,地震の規模はマグニチュードM)7.4と推定されている。地震とともに北西―南東方向に長さ 40kmの地表断層が長野盆地西縁の周辺に出現,西側隆起し,長野では上盤と下盤に 2~3mの落差があった。地震による被害は,新潟県上越市付近から長野県松本市付近に及んだ。山崩れが多数発生したこともあり,特に長野市付近から飯山市にかけての西側(山側)の被害が大きかった。この地震による死者の総数は 1万2000人をこえるという。同 4年1月24日から本尊の開帳があり,多数の参詣者が集まっていた善光寺では,地震による建物の倒壊と直後に発生した火災で 7000~8000人いた旅宿者の 9割が犠牲になった。地震直後に犀川右岸の虚空蔵山が山崩れを起こして川をふさぎ,堰止湖ができた。犀川上流では数十の村が水没した。松代藩では土堤決壊することによる洪水を予測し,下流の住民を避難させて監視を続けたが,地震の 20日後に土石流が発生,100人あまりが犠牲になった。

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デジタル大辞泉の解説

ぜんこうじ‐じしん〔ゼンクワウジヂシン〕【善光寺地震】

弘化4年(1847)3月24日、現長野県の善光寺平震源として発生したマグニチュード7.4の地震。当時、善光寺御本尊の御開帳に全国から多数の参詣者が集まっていて被害が拡大した。また、虚空蔵(こくうぞう)山が山崩れを起こし犀(さい)川をせき止めて湖ができたが、4月13日に決壊、洪水の被害を及ぼした。

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世界大百科事典 第2版の解説

ぜんこうじじしん【善光寺地震】

1847年(弘化4)3月24日午後9時ころに発生した地震。震源地は長野市内で,規模はマグニチュード7.4と推定されている。ちょうど善光寺の御開帳のときで門前町は全国から参詣に来た信者7000~8000人であふれていた。地震後まもなく火災が起こり,生き残った人は約1割くらいであったという。被害は善光寺平に広がり,その周辺の山では山崩れが多く,4万ヵ所以上あった。その最大のものは犀川中流の虚空蔵山の山崩れで,崩土は犀川を2ヵ所でふさぎ,その上流には長さ約30kmの湖が出現した。

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大辞林 第三版の解説

ぜんこうじじしん【善光寺地震】

1847年(弘化4)5月、長野県善光寺平を震源に起きたマグニチュード7.4の地震。死者約一万人(大半は善光寺御開帳に集まった参詣人)、家屋の倒壊焼失約一万五千。山崩れで長野盆地は大洪水となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

善光寺地震
ぜんこうじじしん

弘化(こうか)4年3月24日(1847年5月8日)の午後9~10時ごろに、いまの長野県の善光寺平を震源として発生した地震。規模はM7.4。3月10日から善光寺御本尊の御開帳が始まっており、全国から7000~8000人の善男善女が善光寺周辺に集まっていた。地震の直後に火災が発生し、生き残った人はその約1割であったという。山崩れ4万か所余、虚空蔵(こくうぞう)山の山崩れの土砂は犀(さい)川をせき止め、現在の安曇野(あづみの)市明科(あかしな)地区にまで達する長さ30キロメートル以上の湖ができた。ところが、4月13日に、この湖をふさいだ土砂が決壊し、下流域は洪水にみまわれた。このとき真田(さなだ)藩ではこの事あるを予期して対策をたてていたので、洪水による死者は約100人にすぎなかったといわれている。被害地域は北は飯山(いいやま)、南は稲荷山(いなりやま)、西は大町(おおまち)方面にまで及んだ。つぶれた家は全体で1万3000軒余であった。いまの長野市付近では長さ30キロメートルにわたり、2.4メートルの落差で北西側が相対的に隆起する、北東―南西方向の断層が発生した。[宇佐美龍夫]

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