各種の職人の生態を一括して描いた絵。職人を描いた絵は,平安時代の扇面写経や絵巻などに散見されるが,職人の絵がまとまって描かれるのは鎌倉時代の《東北院職人歌合》からである。これは,職人を左右おのおの5番に分けて歌を番(つが)わせ,判者によって勝を決する歌合(うたあわせ)の形式をとり,和歌の間に職人を描く。三角形の安定した職人の構図には歌仙絵の影響,個性的な容貌には似絵(にせえ)の手法がみられる。詞書に建保2年(1214)の歌合とあるが,この時期は《新古今集》撰集後で歌合,物合(ものあわせ)歌合も流行し,一方では農業生産技術の向上を背景とする職人の台頭期にも符合するため,このような歌仙絵の形式をかりた職人歌合が成立しえたのである。室町時代になると《鶴岡放生会(ほうじようえ)職人歌合》《三十二番職人歌合》《七十一番職人歌合》などがあらわれ,描かれる職人数は急激に増加する。これは手工業の発達,貨幣流通の増大,都市の勃興等による職業分化をよく反映している。職人の表現も座像から立像へ,静態から動態へと,伝統的な歌仙像から離脱し生態の活写が見られるようになる。
近世初期風俗画の全盛のなかにあって,職人歌合に触発されて制作されたものに職人尽絵屛風がある。《色紙形職人尽絵》(49枚,天理図書館)はもと屛風に貼り込まれていたと思われるが,高い視点から俯瞰(ふかん)的に店頭を克明にとらえ,人物への視点も接近するが,構図や人物描写は中世的な絵巻を踏襲している。これに対して《職人尽図屛風》(川越市喜多院)は各扇2図ずつ計24図の六曲一双の貼込屛風で,狩野吉信(1552-1640)の筆になる。これらは職人生活の実態を,店頭のみならず町屋を背景に描いており,《洛中洛外図屛風》の一こまを切り取った観がある。細密に描かれた《洛中洛外図屛風》の人物像を分析すると,《三十二番》《七十一番》の職人歌合絵巻に描かれた職人が,驚くほど多数登場し,歌合絵巻のきずなを脱して屛風に踊り出た,のびのびとした職人の生態が見いだされる。《職人尽図屛風》では店内の職人を大きくとらえ,その生産工程に焦点をあてたところに近世的特色がうかがわれるが,描かれた人物の分析や《洛中洛外図屛風》の町屋をそのままバックに背負いこんでいることは,《洛中洛外図屛風》が職人歌合絵巻から《職人尽図屛風》への媒介をなすことを示している。この喜多院本の系統には田辺本,前川本,サントリー本等諸本がある。江戸時代に入ると《洛中洛外図屛風》のような町並の職人群を絵巻にまとめた《洛中洛外図巻》(住吉具慶,東京国立博物館)や《職人尽図巻》(国立歴史民俗博物館)がみられ,《和国諸職絵尽》(菱川師宣,1685)の版本が出版され,さらに《人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)》(1690)の職種は160余種にも増大する。江戸後期の鍬形蕙斎(けいさい)の《近世職人尽絵詞》(3巻,東京国立博物館)は90図にも及ぶ滑稽,飄逸(ひよういつ)な江戸職人の生態が,洒脱な筆で縦横に描かれている。
→洛中洛外図 →職人歌合
執筆者:石田 尚豊
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手工業者や芸能者などの生態を描いた,13~14世紀頃成立した絵画の一分野。初期には新奇な題材の歌合絵巻として制作された。現存作品では,花園天皇の所蔵だったとみられる「東北院職人歌合(5番本)」(1347年以前成立。東京国立博物館蔵,重文)が最も古い。絵は歌仙絵の形式にならって描かれる。この系統に高松宮家本,フーリア美術館本がある。以後,「東北院職人歌合(12番本)」「鶴岡放生会(ほうじょうえ)職人歌合」「三十二番職人歌合」「七十一番職人歌合」と職人の数を増し,職種の実態も詳しく描写されるようになった。流布本も多い。室町末期になると,「洛中洛外図屏風」中に職人の姿が描きこまれたり,色紙や屏風に独立画面として描かれたりするようになる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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