四十曲峠(読み)しじゆうまがりとうげ

日本歴史地名大系 「四十曲峠」の解説

四十曲峠
しじゆうまがりとうげ

新庄村から鳥取県日野ひの日野町板井原いたいばらへ越える県境の峠で、標高七七〇メートル。江戸時代は伯耆・美作の国境にあたり、出雲往来最大の難所であった。正保二年(一六四五)の美作国絵図(村松家蔵)には伯耆国でも同名で、新庄村より伯耆国板井原村へ二里八町余、大雪の時は牛馬も通わないと記される。江戸期の峠道は戸島としまから野呂谷―嵐乢あらせがたわふたばし―当峠のルートで、伯耆側が急坂カーブも多い。「作陽誌」では新庄駅の端の板橋(現在は戸島川に架かる御幸橋)から嵐乢まで一里、嵐乢は上り八町、下り七町、峠上り一町とあり、嵐乢と峠の間の二橋(二ッ橋)という集落は春秋旅人風雪の難を避けるため設けられたと記す。元禄二年(一六八九)の新庄村古事名物書上帳(新庄村史)によれば二ッ橋の家数五。


四十曲峠
しじゆうまがりとうげ

日野町板井原いたいばらから岡山県新庄しんじよう村へ越える県境の峠。標高七七〇メートル。「しじゅうまがりたわ」ともいう。江戸時代は伯耆・美作の国境にあたり、出雲街道最大の難所とされる。当時のルートは板井原宿の支村峠根たわねから東の峠を越え、美作国真島ましま郡新庄村の集落二ッ橋ふたつばしに至ると推定される。「安永大成道中記提要」は四十九の曲りがあり、谷底が深く険難な場所であること、あるいは始終曲がることを地名の由来とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「四十曲峠」の意味・わかりやすい解説

四十曲峠 (しじゅうまがりとうげ)

鳥取県南西部,日野郡日野町と岡山県真庭郡新庄村との県境にある峠。標高770m。著しい屈曲があったので四十曲の名がついた。峠越えの道は,かつて出雲街道あるいは作州街道とよばれ,伯耆(ほうき)・出雲地方と山陽側をつなぐ主要な街道であった。米子と津山を結ぶ現在の国道181号線は四十曲トンネルで越える。峠付近の山間地は,近世砂鉄を採取するのに鉄穴流(かんなながし)の方法が盛んに行われたところである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「四十曲峠」の意味・わかりやすい解説

四十曲峠
しじゅうまがりとうげ

鳥取県日野(ひの)郡日野町根雨(ねう)と岡山県真庭(まにわ)郡新庄(しんじょう)村を結ぶ県境の峠で、標高770メートル。近世には松江藩から上方(かみがた)への出雲街道(いずもかいどう)に沿い、峠下の板井原宿(いたいばらしゅく)には江戸末期、駅馬14匹と番所を置き、付近にはたたら地域には珍しく木地師(きじし)も居住した。宿場の水路や町並み、県文化財内藤家住宅、道標の地蔵などが残る。旧道は、中海(なかうみ)新産業都市の中核米子(よなご)市と阪神を結ぶ国道181号に改修された。旧峠には石畳が残る。

[岩永 實]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「四十曲峠」の意味・わかりやすい解説

四十曲峠
しじゅうまがりとうげ

鳥取県南西部,日野町と岡山県新庄村との県境にある峠。標高 770m。出雲街道上にあり,現在は米子と津山を結ぶ国道 181号線が四十曲トンネルで越える。

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