明治維新期,従来の士農工商などの封建的身分制を廃した政策。しかしこれで身分制はなくならず,華族・士族・平民に再編成され,被差別部落民も残存された。その過程は,1869年(明治2)6月版籍奉還にさいし公卿・諸侯(旧藩主)を華族に,平士以上の藩士などを士族としたことに始まる。69年12月同心など下士層を卒族としたが,72年1月卒族は廃され,郷士などの世襲のものは士族に,他は平民となった。一方,農工商三民は平民とされたが,平民の称は1870年9月〈自今平民苗字被差許〉との布告が初出。71年8月には〈穢多非人等ノ称〉を廃し,身分,職業とも〈平民同様〉とする布告が出された。その直前には華士卒族・平民相互間の婚姻の自由が,12月には華士族に,翌年には農民に職業の自由が認められた。〈四民平等〉が盛んに唱道されたのはこのころであった。当初,華士族ともに家禄の支給と閏刑(身分に応じて本刑に代えて科した刑罰)などの特権を有したが,士族の場合,73年1月の徴兵令,12月から着手の秩禄処分,76年3月の廃刀令,82年1月施行の刑法などにより特権を失うにいたった。しかし華族は皇室の藩屛(はんぺい)として育成され,1880年代後半に法的整備を得,明治憲法体制成立の段階でその政治上・法律上・経済上の特権的地位を確立した。また〈旧賤民〉は1872年の壬申戸籍記載にちなみ〈新平民〉などと俗称されて差別扱いから解消されず,皮革業などの独占権を失う一方,兵役・納税などの義務を新たに課せられ,経済上の差別も残存した。さらに地域によっては,士族層が政治的・社会的優位性を保った場合も少なくない。こうした結果となったのは,〈四民平等〉が下から獲得されたもの,人権尊重の意識に根ざすものでなく,支配層の富国強兵策,文明開化政策の一環であったからである。なお,1914年の戸籍法改正により戸籍上の身分登記制は廃止された。
執筆者:阿部 恒久
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明治維新後、中央集権国家形成のため、旧来の士農工商(四民)の封建的身分制度が、新政府によって廃止されたこと。1870年(明治3)農民や町人が姓(苗字(みょうじ))を名のることを許され、また翌年、穢多(えた)・非人などの差別的呼称と身分を廃止して被差別民を「解放」するなどの措置がとられたのち、公卿(くぎょう)と諸藩藩主を華族、武士を士族、農工商三民を平民という呼称に改め、居住・職業・結婚などの自由も、華・士族、平民間で認められ、原則として、国民はすべて平等に扱われることになった。しかしこの四民平等の措置は、現実には国民の間の身分差別を解消しなかったうえ、実質的には、国家権力の確立の過程で、天皇を頂点とする新たな国民支配のための身分秩序の再編を意味する結果になった。
[石塚裕道]
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