神社を国家が直接管理した時代の社格の一つ。官幣社と国幣社の総称。官社ともいう。古代律令制度のもとで,神祇官より例幣を奉られる社を官幣社といい,国司より例幣を奉られる社を国幣社といったが,明治の制でも官幣社,国幣社の名をついだ(ほかに府県社,郷社,村社,無格社)。律令制の整備とともに,全国諸社のうち,神祇官でまつる官社を定めたが,798年(延暦17)交通不便などの理由で,地方諸社の多くは,代わって国司が幣帛を奉ることとした。これが国幣社である。《延喜式》に,3132座のうち官幣社737座,うち祈年・月次(つきなみ)・新嘗祭に案上の官幣を奉られる大社304座,祈年祭に案下の官幣を奉られる小社433座,国幣社2395座,うち祈年祭に糸3両・綿3両を奉られる大社188座,おなじく糸2両・綿2両を奉られる小社2207座を記している。しかし,律令制の崩壊とともに,それはなくなった。1871年(明治4)改めて官幣社・国幣社の制を定め,それぞれ大・中・小の3等級にわけ,神祇官でまつる社を官幣社,地方官でまつる社を国幣社とした。また72年に別格官幣社の制を定めた。しかし,やがて神祇官は廃止されて神祇省となり,教部省,さらに内務省にかわり,神社は内務省所管となり,結局官幣社は祈年・新嘗・例祭および本殿遷座祭に宮内省より神饌幣帛料が供進され,国幣社は祈年・新嘗の場合のみ宮内省より,例祭および本殿遷座祭に神饌幣帛料を国庫より供進するだけの差となった。祭神よりみれば,官幣社は歴代の天皇また皇族をまつる社,さらに古来皇室の深く崇敬された社が主であり,別格官幣社は国家に特別に功績をつくした臣をまつる社,国幣社はそれぞれ地方国土開拓,経営の神をまつる社が主となっていた。1945年12月連合軍の神道指令とともにこれらの制は廃されたが,当時海外領土の社18社をふくめて,官幣大社65,中社23,小社5,別格28,国幣大社6,中社47,小社50社が存した。表を参照されたい。
→式内社
執筆者:鎌田 純一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
官幣社(かんぺいしゃ)と国幣社(こくへいしゃ)のこと。神社が国家管理下にあった時代、国家により経営され、祭祀(さいし)が行われ、また宮司の任免をされた神社で、官社ともよばれ、府県社以下のいわゆる民社と対していた。平安初期の延喜(えんぎ)の制では、官幣社とは神祇官(じんぎかん)より例幣が奉られ、国幣社とは国司の庁より幣帛(へいはく)が奉られる神社であったが、1874年(明治7)の制では、官幣社は祈年祭(きねんさい)・新嘗祭(にいなめさい)・例祭に、国幣社は祈年祭・新嘗祭に皇室から幣帛を供進(きょうしん)され、国幣社の例祭には国庫から幣帛料が供進されることとなっていた。
明治の制を祭神からみると、皇室の祖神または建国に功績のあった神、天皇、国家に功労のあった神を祀(まつ)る神社が官幣社、湊川(みなとがわ)神社など忠臣を祀る神社が別格官幣社、国土開発・地方開拓に功労のあった神を祀る神社が国幣社とされ、それぞれに大社・中社・小社と区分されていた。
[鎌田純一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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