国清寺跡(読み)こくしようじあと

日本歴史地名大系 「国清寺跡」の解説

国清寺跡
こくしようじあと

[現在地名]山口市水の上町

現在の洞春とうしゆん寺がその跡地臨済宗で、香山と号し、大内盛見の創建毛利氏の山口移封に伴い隆元の菩提寺として安芸国に創建された常栄じようえい寺が国清寺に移り、引き継いだが、常栄寺は文久三年(一八六三)宮野桜畠みやのさくらばたけ村へ再転、のちにその跡地に萩から洞春寺が移って現在に至る(→常栄寺洞春寺

「注進案」所載の古文書によると、応永七年(一四〇〇)八月、大内盛見は国清寺に長門国大田郷地頭職を寄進している。また同一一年二月に次の文書を与えており、国清寺建立の趣旨を知ることができる。

<資料は省略されています>

また同時に「国清寺条々」を定め、続いて応永一二年八月には「同国(周防)吉敷西庄中村内土貢参拾石下地」を「毎月十八日懺法料々所」として、同一三年七月には「周防国吉敷東庄地頭職」、同一五年一一月には「周防国吉敷東庄領家職預所職」、同じく「周防国宇野令内田畠」、同二五年二月には「長門国美禰郡赤郷公文職」、同二九年八月には「周防国吉敷郡牧山」「長門国大津郡日置庄内佰参拾石地」が寄進されている。


国清寺跡
こくせいじあと

[現在地名]能代市母体字蟹沢

上母体かみもたいの手前にある。国史跡。

「檜山郷土史稿」によれば、永正元年(一五〇四)頃、檜山に根拠をもった安東忠季が日照山国清寺を創建し、在天文竜を招いたとある。文禄元年(一五九二)秋田実季分限帳(秋田家文書)には国法寺(国清寺)に対し一〇三石二斗五升三合を給し、慶長六年(一六〇一)の秋田実季寺領宛行状(秋田藩家蔵文書)には一一三石二斗五升三合とある。同年の秋田実季侍分限(秋田家文書)には一七九石二斗五升三合とある。給地の大きさからみても秋田(安東)氏にとって重要な菩提寺であったと思われる。

菅江真澄は「かすむ月星」に「国清寺といふに、華厳のをこなひありし在天禅師を開山としたり。


国清寺跡
こくせいじあと

佐介さすけやつから佐助稲荷方向へ分岐する、寺の内てらのうち近辺にあったらしい。臨済宗。関東十刹一つで夫長山と号した(鎌倉五山記)。もと文覚の旧地で律宗であったが、上杉憲顕(応安元年没)が禅宗に改め、開山は円覚寺三六世無礙妙謙という(空華集)一説に、憲顕を葬った伊豆国清寺(現静岡県田方郡韮山町)を、孫憲定が当地に移したともいう。伊豆国清寺は康安元年(一三六一)畠山国清の創建にかかり、応安元年(一三六八)憲顕が亡父憲房の菩提を弔うため中興したものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「国清寺跡」の解説

こくせいじあと【国清寺跡】


檜山安東氏城館跡(ひやまあんどうしじょうかんあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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