国清寺(読み)こくせいじ

精選版 日本国語大辞典 「国清寺」の意味・読み・例文・類語

こくせい‐じ【国清寺】

[一] 中国、浙江省中東部の天台山にある天台宗の寺。隋の文帝が智顗(ちぎ)の追福のため天台寺を創建、六〇五年煬帝(ようだい)により改称された。日本からも最澄をはじめ多くの僧が訪れて修行した。
[二] 静岡県伊豆の国市にある臨済宗円覚寺派の寺。山号は天長山。康元年間(一二五六‐五七畠山国清の創建と伝えられる。
[三] 岡山市小橋町にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は万歳山。慶長一四年(一六〇九池田利隆が創建。池田家の菩提所

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デジタル大辞泉 「国清寺」の意味・読み・例文・類語

こくせい‐じ【国清寺】

中国浙江せっこう省の天台山にある寺。天台宗総本山。隋の天台大師智顗ちぎの遺言で建てた天台山寺を改名。日本の最澄が学び、また寒山拾得じっとくが住したことで知られる。

こくしょう‐じ〔コクシヤウ‐〕【国清寺】

静岡県伊豆の国市にある臨済宗円覚寺派の寺。山号は天長山。初め奈古屋寺と称し律宗。14世紀中ごろ、上杉憲顕無礙妙謙を開山として臨済宗に改める。

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日本歴史地名大系 「国清寺」の解説

国清寺
こくしようじ

[現在地名]韮山町奈古谷

韮山小学校奈古谷なごや分校の東にある臨済宗円覚寺派の寺院。天長山と号し、本尊は釈迦堂に安置される釈迦如来と伝える。寺号は「こくしょうじ」、「こくせいじ」(地元の通称)と定まらないが、伽藍など天台山国清寺にならったことから仏教用例としては「こくしょうじ」と読むべきであろう。「本朝高僧伝」によれば、上杉憲顕の建立という。大永八年(一五二八)成立の天長山国清万年禅寺諸塔頭目録(国清寺蔵)には、当寺は暦応期(一三三八―四二)に興り、貞治期(一三六二―六八)に隆盛で、明応期(一四九二―一五〇一)には衰えたと記される。上杉憲顕による暦応期創建の可能性の傍証は証羊集(林際寺蔵)でも得られ、「鎌倉大草紙」が伝えるように父憲房の追善供養のため建武三年(一三三六)の死から遠くない時期に憲顕が当寺を建立したと考えられる。

国清寺
こくせいじ

[現在地名]岡山市小橋町二丁目

臨済宗妙心寺派、山号万才山、本尊釈迦如来。旭川の東、近世の岡山城下小橋こばし町と門田屋敷かどたやしきの間に所在。「池田家履歴略記」(池田家文庫)によれば、慶長一四年(一六〇九、一説に同一五年)当時岡山藩の幼主池田忠継を代監していた兄利隆が、京都妙心寺護国院の天猷に帰依し、弟子大華を招いて上道郡に法源院を再興して法源寺を建立した。利隆はその後本領姫路ひめじ(現兵庫県姫路市)に帰り、同地に父輝政の法号をとった国清寺を建立、また彼の嗣子光政も移封先の鳥取城下に国清寺を建立した。

国清寺
こくせいじ

[現在地名]高知市薊野

掛川かけがわ神社の西隣にある。臨済宗相国寺派。陽貴山と号し、本尊は釈迦如来。「南路志」によると、寛永一八年(一六四一)日讃を開山として二代藩主山内忠義が牛頭ごず天王(現掛川神社)の宮寺として建立、寺領一〇〇石が与えられていたという(寺伝は慶長五年創建とする)。当時、天台宗東叡山末で門主支配の寺であったという。

国清寺
こくしようじ

[現在地名]宮津市字金屋谷

金屋谷かなやだにの西南部にある。泰叟山と号し、臨済宗妙心寺派、本尊釈迦三尊。

開山は別源。寛永二年(一六二五)京極高広の室寿光院が父池田輝政追福のために建立した。仏涅槃図・文殊菩薩図のほか竜虎図などの寺宝が多い。

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改訂新版 世界大百科事典 「国清寺」の意味・わかりやすい解説

国清寺 (こくせいじ)
Guó qīng sì

中国,浙江省の天台山仏隴峰麓にある寺。智顗(ちぎ)が入山して天台宗を興し,彼に帰依した隋の晋王広(のちの煬帝(ようだい))により,598年(開皇18)に創建された。智顗没後,弟子灌頂らの努力や煬帝の国家的保護で天台宗の根本道場となる。最澄,円珍,円載,成尋ら日本天台宗の諸僧だけでなく,栄西,重源らの入宋僧も詣でている。会昌の廃仏で焼失したが,851年(大中5)に重建され,宋代1005年(景徳2)に景徳国清寺と改称された。現在の伽藍建築群は,清代になって1734年(雍正12)に重建されたものが中心である。隋の創建時のものと伝えられる,高さ約70mの六角九層塼(せん)塔が現存するが,宋代再興時のものである。寺域は天下四絶の一つに数えられ,寺前に豊干橋(ぶかんきよう)がある。唐代,寒山・拾得と塵外の交りをしたとされる禅僧の名にちなむものである。この三賢説話は,《寒山子詩集》の閭丘胤(りよきゆういん)の序に見えるのがおそらく最も早い時期のものであるが,8世紀以後に禅宗諸派,特に牛頭(ごず)禅が独自の法灯を主張し始めることと,本説話形成とは関連すると思われる。
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世界大百科事典(旧版)内の国清寺の言及

【智顗】より

…南岳に隠棲せんとする慧思のすすめで,智顗は陳の国都の金陵(南京)に出て8年間とどまり,おもに瓦官寺で《法華経》《大智度論》《次第禅門》などの講説に専念し,江南の学問的仏教に禅観思想の新風を吹き込み,陳の宣帝をはじめ朝野の帰依者を集めた。 たまたま北周の武帝による廃仏が断行されたとの報に接し,浙江の天台山(国清寺)に隠棲して天台教義を体系づけること10年,584年(至徳2)に陳の永陽王に懇請されて下山し,陳の後主に迎えられて再び金陵に入った。皇帝以下に菩薩戒を授け,太極殿で護国のために《大智度論》と《仁王般若経》を講じ,また光宅寺で《法華文句》を開講した。…

※「国清寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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