韮山小学校
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国,浙江省の天台山仏隴峰麓にある寺。智顗(ちぎ)が入山して天台宗を興し,彼に帰依した隋の晋王広(のちの煬帝(ようだい))により,598年(開皇18)に創建された。智顗没後,弟子灌頂らの努力や煬帝の国家的保護で天台宗の根本道場となる。最澄,円珍,円載,成尋ら日本天台宗の諸僧だけでなく,栄西,重源らの入宋僧も詣でている。会昌の廃仏で焼失したが,851年(大中5)に重建され,宋代1005年(景徳2)に景徳国清寺と改称された。現在の伽藍建築群は,清代になって1734年(雍正12)に重建されたものが中心である。隋の創建時のものと伝えられる,高さ約70mの六角九層塼(せん)塔が現存するが,宋代再興時のものである。寺域は天下四絶の一つに数えられ,寺前に豊干橋(ぶかんきよう)がある。唐代,寒山・拾得と塵外の交りをしたとされる禅僧の名にちなむものである。この三賢説話は,《寒山子詩集》の閭丘胤(りよきゆういん)の序に見えるのがおそらく最も早い時期のものであるが,8世紀以後に禅宗諸派,特に牛頭(ごず)禅が独自の法灯を主張し始めることと,本説話形成とは関連すると思われる。
執筆者:愛宕 元
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…南岳に隠棲せんとする慧思のすすめで,智顗は陳の国都の金陵(南京)に出て8年間とどまり,おもに瓦官寺で《法華経》《大智度論》《次第禅門》などの講説に専念し,江南の学問的仏教に禅観思想の新風を吹き込み,陳の宣帝をはじめ朝野の帰依者を集めた。 たまたま北周の武帝による廃仏が断行されたとの報に接し,浙江の天台山(国清寺)に隠棲して天台教義を体系づけること10年,584年(至徳2)に陳の永陽王に懇請されて下山し,陳の後主に迎えられて再び金陵に入った。皇帝以下に菩薩戒を授け,太極殿で護国のために《大智度論》と《仁王般若経》を講じ,また光宅寺で《法華文句》を開講した。…
※「国清寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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