土井たか子(読み)どいたかこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「土井たか子」の意味・わかりやすい解説

土井たか子
どいたかこ
(1928―2014)

政治家。兵庫県生まれ。同志社大学卒業後、同大学などで憲法学の講師を務める。1969年(昭和44)の総選挙社会党日本社会党)から当選、以後衆議院に連続当選。護憲・非武装中立・反原発の立場にたつ。石橋政嗣(まさし)執行部の副委員長を経て、1986年総選挙での大敗北後、党再生の切り札として委員長候補に推され、上田哲候補を大差で下して第10代社会党委員長に就任。大政党初の女性党首となったが、1991年の統一地方選挙で敗れ、委員長を辞任。1993年(平成5)憲政史上初めて女性として衆議院議長に選出された。1996年9月社会民主党(旧社会党)党首に復帰。2003年(平成15)11月、総選挙での大敗の責任をとり、党首を辞任。2005年の総選挙で落選した。

伊藤 悟]

『『せいいっぱい――土井たか子半自伝』(1993・朝日新聞社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「土井たか子」の意味・わかりやすい解説

土井たか子
どいたかこ

[生]1928.11.30. 兵庫,神戸
[没]2014.9.20. 兵庫
政治家。本名多賀子。1951年同志社大学を卒業,1956年同大学大学院修士課程を修了。その後同志社大学,関西学院大学,聖心女子大学などの講師を務めた。1969年衆議院議員総選挙日本社会党から出馬して初当選を果たした。以後連続当選 11回。衆議院物価対策特別委員長,外務委員会理事などを経て 1983年党副委員長に就任。1986年第10代日本社会党委員長に就任,日本憲政史上初の女性党首となる。同 1986年の衆参同日選挙で結党以来最低の議席に落ち込んだ党の再建を託された。消費税導入とリクルート事件政界がゆれるなかでの 1989年参議院議員通常選挙で,自身の人気と「マドンナ旋風」と呼ばれた女性候補者の躍進で社会党を大勝させ,参議院での与野党逆転の立役者となった。1991年委員長を辞任。1993年非自民の細川護煕連立内閣の成立後,憲政史上初の女性衆議院議長に就任し,党籍離脱。1996年に日本社会党を改名した社会民主党が発足し,党首として復党した。2003年,同年の総選挙惨敗の責任をとって党首を退いた。2005年の総選挙で落選し,政界の第一線から退いた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「土井たか子」の意味・わかりやすい解説

土井たか子【どいたかこ】

政治家。本名多賀子。兵庫県生れ。同志社大卒。憲法学者田畑忍門下の護憲論者で,同志社大などの講師を経て,1969年以来日本社会党衆議院議員,1986年―1991年党委員長(小政党以外では日本初の女性党首)となり,1989年の参議院選挙で大躍進した。1993年―1996年には非自民の連立政権のもとで憲政史上初の女性衆議院議長。1996年民主党の結成によって社会民主党(1996年日本社会党より党名変更)議員が多数移行し党は壊滅状態となり,再度党首として再建に乗り出す。2003年秋の衆議院選挙で大敗し,党首を辞任(後継党首は福島瑞穂)。2005年の第44回総選挙では,比例近畿ブロックで立候補したが落選。
→関連項目海部俊樹内閣

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土井たか子」の解説

土井たか子 どい-たかこ

1928-2014 昭和後期-平成時代の政治家。
昭和3年11月30日生まれ。母校同志社大の憲法学講師をへて,昭和44年成田知巳の要請をうけ社会党から衆議院議員(当選12回)。61年日本の政党史上初の女性委員長となる。平成5年国会史上はじめての女性衆議院議長。8年党名を社民党と変更し,党首。憲法擁護,日米安保反対を主張しつづける。12年党首に再選。15年総選挙の敗北で党首を辞任。平成26年9月20日死去。85歳。兵庫県出身。本名は多賀子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「土井たか子」の解説

土井 たか子 (どい たかこ)

生年月日:1928年11月30日
昭和時代;平成時代の政治家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

一度利用した製品を捨てずにそのまま再使用すること。ごみの削減に重要だとされる「3R」の一つで、衣類・服飾品や家電などさまざまな品目が取り扱われている。リユース商品の専門店やイベント、フリーマーケット...

リユースの用語解説を読む