第二次世界大戦前において、地主に対する小作人の権利(小作権)を初めて明文化した法律。1938年(昭和13)4月2日公布。内容は小作争議調停制度の強化と、食糧増産のための農地統制である。従来の小作調停法の当事者申立て主義を変更し、小作官、裁判所の職権調停を認めると同時に、自作農創設に際し地主に対し行政官庁、裁判所が土地譲渡の斡旋(あっせん)をなしうることを規定した。また未墾地に対して強制譲渡をなしうること、農地の賃貸契約は登記がなくとも第三者に対抗しうること、農地の賃貸借の解約および更新の拒絶を制限することなど、明治民法の地主的土地所有の絶対性に対して一定の法的制約を初めて規定した。敗戦後改正され、自作農創設特別措置法とともに農地改革の基本立法となった。1952年(昭和27)農地法制定により廃止された。
[森 武麿]
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1938年(昭和13)互譲相助の精神で農地諸関係の調整を行うことを目的に制定された最初の戦時農地立法。農地の管理や自作農創設の強化,経済更生運動上必要な農地の処分についての条項などで構成される。農地の賃貸借契約は登記がなくても第三者に対抗できるとする,小作農の賃借権を強化する条項もあったが,地主の自作化のための土地取上げに優先するものではなかった。第2次大戦後に農地改革の一環として46年に改正され,52年の農地法の施行にともなって廃止された。
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… 小作問題に大きな変化を与えたのは戦時経済であった。国家総動員法と同じ1938年に制定された農地調整法は,土地処分に関する特別規定を含んでおり,地主の土地取上げが初めて制限された。民法の規定からようやく一歩前進したのである。…
※「農地調整法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
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