日本歴史地名大系 「基肄城跡」の解説
基肄城跡
きいじようあと
築城の起因は、唐・新羅連合軍に滅ぼされた百済の再建を支援するため朝鮮へ出兵した日本軍が、西暦六六三年
「続日本紀」文武天皇二年五月にも「大宰府に令して大野・基肄・鞠智の三城を繕治せしむ」とある。「肥前風土記」に「城壱所」とあるのは基肄城のこととされる。「万葉集」巻八にある神亀五年(七二八)式部大輔石上堅魚と大宰帥大伴旅人らが望遊した「
基肄城跡
きいじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報