デジタル大辞泉
「堅山南風」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
堅山 南風
カタヤマ ナンプウ
昭和期の日本画家
- 生年
- 明治20(1887)年9月12日
- 没年
- 昭和55(1980)年12月30日
- 出生地
- 熊本県熊本市坪井立町(現・東外坪井町)
- 本名
- 堅山 熊次(カタヤマ クマジ)
- 主な受賞名〔年〕
- 熊本県文化功労者〔昭和31年〕,西日本文化賞〔昭和31年〕,文化功労者〔昭和38年〕,文化勲章〔昭和43年〕,熊本市名誉市民〔昭和44年〕
- 経歴
- 明治40年より四条派の福島峯雲に師事。42年上京し、同郷の高橋広湖に師事。大正2年の第7回文展に出品した「霜月頃」が横山大観の強力な推薦で初入選。3年に大観が日本美術院を再興するとこれに参加、以後大観に師事。5〜6年インドに旅行。13年日本美術院(院長)同人となり花鳥画を良くする。昭和20年以後、肖像画を手がけ、「O氏像(奥村土牛)」(29年)「M先生(武者小路実篤)」「大観先生」(32年)などを発表。日本美術院理事の他、21年以降は日展審査員も務めた。晩年はタヒチなど南太平洋を取材旅行し、米寿を過ぎてから色彩画家としての天分を発揮した。他の代表作は「白雨」「画室にて」など。また日光東照宮の天井画「鳴竜」を復元、昭和43年に文化勲章を受章した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
堅山南風
かたやまなんぷう
(1887―1980)
日本画家。熊本市に生まれる。本名熊次。1909年(明治42)に上京、高橋広湖(こうこ)に師事する。1913年(大正2)第7回文展に初出品した『霜月頃』が横山大観に認められて二等賞になる。翌1914年日本美術院再興に加わり、1924年に同人。以後主として院展で活躍するが、第二次世界大戦後は日展にも出品した。1958年(昭和33)日本芸術院会員、1968年に文化勲章を受章。多彩で生気に富む表現で知られ、『白雨』『横山大観先生』『新涼の客(汀女(ていじょ)さん)』などが代表作。また1968年、先に焼失した日光山輪王寺薬師堂の鳴竜(なきりゅう)の天井画を復原したこともよく知られている。
[原田 実]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
堅山南風
かたやまなんぷう
[生]1887.9.12. 熊本
[没]1980.12.30. 静岡,函南
日本画家。本名熊次。 1909年上京,松本楓湖門の高橋広湖に学んだ。 13年第7回文展に『霜月頃』 (永青文庫) を出品して2等賞を受け,横山大観に認められた。その後大観に私淑して再興院展に参加,24年同人となる。第2次世界大戦後は院展と日展で活躍した。 58年日本芸術院会員,63年文化功労者,68年文化勲章受章。主要作品『白雨』 (1951,東京国立近代美術館) ,『応接間の人』 (58,同) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
堅山南風 かたやま-なんぷう
1887-1980 大正-昭和時代の日本画家。
明治20年9月12日生まれ。高橋広湖にまなぶ。「霜月頃」が文展で2等賞受賞。以後,横山大観に師事し,大正3年日本美術院再興にくわわり,のち同人となる。戦後は日展にも出品し,日光山輪王寺薬師堂天井画「鳴竜」を復元。昭和33年芸術院会員。43年文化勲章。昭和55年12月30日死去。93歳。熊本県出身。本名は熊次。代表作に「白雨」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
堅山南風【かたやまなんぷう】
日本画家。熊本市生れ。本名熊次。1910年上京して高橋広湖塾に入り,1913年第7回文展に《霜月頃》で二等賞を受ける。花鳥や魚を画題とするものが多いが,《O氏像》《大観先生像》などすぐれた人物画も描いている。1968年文化勲章。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
堅山 南風 (かたやま なんぷう)
生年月日:1887年9月12日
昭和時代;平成時代の日本画家
1980年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の堅山南風の言及
【明治・大正時代美術】より
…再興の宣言に,〈自由の天地〉で〈吾ら自己の芸術〉をめざすとうたい,大正デモクラシーやヒューマニズムの流れの中で,少数精鋭の団結により,個性尊重の精神をみなぎらせる精進を重ねた。再興日本美術院は小林古径,前田青邨,富田渓仙(1879‐1936),中村岳陵,小川芋銭(うせん)(1868‐1938),北野恒富(1880‐1947),速水御舟,川端竜子,近藤浩一路(1884‐1962),郷倉千靱(せんじん)(1892‐1975),堅山南風(かたやまなんぷう)(1884‐1980)ら,数多くの個性的な日本画家を生み出し,大正から昭和にかけての日本画界を支える中核となった。なお院展洋画部からは,二科展に出品した関根正二とともに,日本の青春ともいうべき大正期の象徴的存在である[村山槐多]が出ている。…
※「堅山南風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」