夜郎(読み)ヤロウ(英語表記)Yè láng

デジタル大辞泉 「夜郎」の意味・読み・例文・類語

やろう〔ヤラウ〕【夜郎】

中国代に、西南地方、現在の貴州省西境にいた異民族西南夷の一。武帝に平定されて漢の郡県に編入された。

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精選版 日本国語大辞典 「夜郎」の意味・読み・例文・類語

やろう ヤラウ【夜郎】

[1]
[一] 中国貴州省北部に置かれた県名。漢代には現在の桐梓(どうしん)県、唐代には石阡(せきせん)県の地。
[二] 中国湖南省西部、沅陵県のあたりにあった地名
[2] 〘名〙 中国の漢代に、西南部に居住した非漢民族の一種。武帝に平定されて、漢の郡県に編入された。

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改訂新版 世界大百科事典 「夜郎」の意味・わかりやすい解説

夜郎 (やろう)
Yè láng

中国,戦国期から漢代に今の貴州省西部に建国した農耕民族西南夷のなかでも最大の勢力をほこり,前漢の武帝の使者に漢と夜郎とではどちらが大きいかとたずねて,〈夜郎自大〉のことわざが人口に膾炙かいしや)されることになった。武帝は,初めは南越討伐の拠点として,のちには大月氏と連合して匈奴を討つためにこの地を重視,前111年(元鼎6)牀柯(そうか)郡をおき,その酋長を王に封じたが,前漢代を通じて反乱をくりかえした。日本の桃太郎説話と酷似する〈竹生始祖伝説〉をもち,また,その後裔ともされる獠(僚)族は,干闌とよばれる高床式住居に住み,銅鼓を製作し,銅鐸のように埋納するなど,日本の民族・文化との緊密なつながりを思わせる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「夜郎」の意味・わかりやすい解説

夜郎
やろう

中国の西南地方にいた非漢民族の一、またその国家。前漢武帝の在位した前2世紀後半ごろはすこぶる優勢で、精兵10万を有したと伝えられる。そのため夜郎の君主の自負心は強く、漢の使者に対して夜郎と漢とどちらが大かと尋ね、「夜郎自大(じだい)」の諺(ことわざ)を生じた。現在の広西チワン族自治区の北西部、貴州省の西部、雲南省の東部を含む地域を占め、そこでは定住農耕の生活が行われていたという。夜郎の地は、雲貴高原に発し東南流する珠江(しゅこう)の上流域に位することから、武帝はこの水路を利用して南越を攻める計画をたて、唐蒙(とうもう)を遣わし夜郎の君主に説いて、漢の支配下に入らせ、その地に犍為(けんい)郡を置いた。武帝はその後、南越平定を機にさらに牂柯(そうか)郡をも設置し、夜郎に対する支配を強めたが、君主は残し、ただ王印を授け臣事させた。しかし成帝(在位前32~前7)のとき、王の興が漢に反したため殺され、国は滅んだ。なお夜郎には、祖先が竹から生まれたとする始祖伝説がある。

[藤原利一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「夜郎」の意味・わかりやすい解説

夜郎
やろう
Ye-lang; Yeh-lang

中国,漢代に貴州西部に居住し,国家を建設していたと考えられる民族。民族系統は明らかでないが,竹生伝説をもち,農耕集落を形成していた。前漢の武帝時代には中国の支配下に入れられ,元鼎6 (前 111) 年以後はその支配が強化された。しかしその後も前漢末まで夜郎は中国支配に対してしばしば反抗したが,次第にその勢威は衰えていった。

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普及版 字通 「夜郎」の読み・字形・画数・意味

【夜郎】やろう

夜郎の人、他を知らず、自ら語るを夜郎自大という。

字通「夜」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の夜郎の言及

【貴州[省]】より

…また,威寧(いねい)イ(彝)族回族ミヤオ(苗)族自治県の中河や赫章(かくしよう)県などでは新石器時代の石斧や陶片もみつかっている。戦国時代貴州には郢(えい)を拠点とする楚の黔中(けんちゆう)が東部にあり,貴陽付近や西部,北部では且蘭(しよらん)や夜郎などが支配していた。秦・漢になると彼らは〈西南夷〉とよばれ《史記》西南夷伝には先秦時代の西南夷の部族はみな氐(てい)の類なりとあり,多くは氐羌(ていきよう)族系の少数民族が居住するところであった。…

※「夜郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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