デジタル大辞泉
「踏歌」の意味・読み・例文・類語
とう‐か〔タフ‐〕【踏歌】
中国から伝わった集団歌舞。足を踏み鳴らして歌い舞うもので、平安時代には宮中の初春の行事として盛行、正月14日に男踏歌、16日に女踏歌が行われた。その歌詞は、元来は唐詩、のちに催馬楽も用いられ、歌の終わりに「万年あられ」と唱えたので「あらればしり」ともいう。
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あられ‐ばしり【踏歌】
- 〘 名詞 〙
- ① 足で地を踏みながら、調子をとってうたう歌曲。また、中国伝来の行事で、列を作って行進し、その歌をうたって新年を祝うもの。宮中の正月行事。あられまじり。あられ。とうか。→あらればしりの豊明(とよのあかり)。
- [初出の実例]「奏二歌一。〈私記曰。今俗曰二阿良礼走一。〈略〉〉」(出典:釈日本紀(1274‐1301)一五)
- 「そのかずかずのしるきうた人 百敷のあられはしりは明そめて〈宗伊〉」(出典:新撰菟玖波集(1495)雑)
- 「朝覲(てうきん)大饗(おほあへ)白馬(あをむま)のいばふる玉のみぎりには、霰(アラレ)ばしりのくつ音も春めき、わたりさむからず」(出典:浄瑠璃・百合若大臣野守鏡(1711頃)一)
- ② 練歩(れんぽ)の一つ。節会(せちえ)の時、内弁などが、足早に走り去る歩き方。
とう‐かタフ‥【踏歌・蹈タウ歌】
- 〘 名詞 〙 多数の人が足で地を踏み鳴らして歌う舞踏。もと唐の風俗で、上元の夜、長安の安福門で行なうのを例とした。日本では持統天皇七年正月、漢人が行なったのが初めといわれ、平安時代には宮廷の年中行事となった。また、諸社寺でも行なわれ、今なお踏歌神事を伝えるところがある。元来、歌詞は漢詩の句を音読したものであったが、のちに催馬楽(さいばら)の「竹河」「此殿」「我家」などが用いられた。歌詞の間に万春楽、千春楽などの囃詞(はやしことば)がはいるが、それを「万年(よろずよ)あられ」とも囃したので、踏歌を一名阿良礼走(あらればしり)と称した。
踏歌〈年中行事絵巻〉
- [初出の実例]「天皇御二大安殿一。宴二群臣一。酒酣奏二五節田舞一。訖更令二少年童女踏歌一」(出典:続日本紀‐天平一四年(742)正月壬戌)
- [その他の文献]〔旧唐書‐睿宗紀〕
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踏歌
とうか
中国から伝来した上代歌舞の一つ。大ぜいの人が足で地を踏みながら拍子をとりつつ歌い踊るもので、一名アラレハシリともよばれる。ハシリとは舞踏の意であるらしい。本来、隋(ずい)・唐の民間行事で、正月上元の夜の観灯会に行うのを例とした。わが国では、『日本書紀』持統(じとう)天皇7年(693)正月16日条にその初見例がみえ、これ以後しだいに踏歌節会(とうかのせちえ)として宮廷の年中行事の一つとなって定着したらしい。儀式のようすは『内裏式(だいりしき)』『西宮記(さいぐうき)』などに詳しい。男(おとこ)踏歌と女(おんな)踏歌とがあり、いずれも天皇の長久とその年の豊穣(ほうじょう)を祈ることを目的とした。踏歌は一方で民間にも普及したらしく、766年(天平神護2)には、風俗を乱すとの理由で畿内(きない)の民間踏歌が禁断されている。歌詞は当初は唐詩を用いたが、行事が日本化するとともに催馬楽(さいばら)の「我家(わいえ)」「竹河(たけかわ)」などが用いられるようになった。平安末ごろには衰退し、節会として行われることは絶えた。
[多田一臣]
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踏歌 (とうか)
男女が集団的に足拍子を踏んで祝福した正月の晩の歌舞。もと西域の灯飾りの風も入った隋・唐の都市の民間行事(観灯会)。日本では693年(持統7),694年に漢人(あやひと)や唐人が奏しはじめたと《日本書紀》にいう。平安初期に節会(せちえ)に定着,男(お)踏歌は正月14日,宮中から始めて翌暁まで貴族の邸を巡り,女(め)踏歌は毎年正月16日に宮中で舞った。曲詞は唐様に催馬楽などを加えた。囃子から,あられ走りともいう。
→踏歌の節会
執筆者:本田 義憲
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踏歌【とうか】
古代の群集舞踏。〈あらればしり〉とも。足で地を踏み,拍子をとって歌う。中国の風を伝えたもので,宮廷では新年の祝儀として踏歌節会(せちえ)が行われ,正月14日または15日の男踏歌は清涼殿東庭で,16日の女踏歌は紫宸(ししん)殿南庭で行なわれた。いずれも早くすたれたが,熱田神宮など神事としてこれを伝えているところもある。
→関連項目歌垣|節会|千秋万歳
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踏歌
とうか
奈良から平安時代に行われた群舞形式の歌舞。中国から移入された芸能であるが,次第に日本化し,これより古くからあった歌垣とも合体して流行した。風俗が乱れたとして取締りにあい,天平神護2 (766) 年に禁止されたが,宮中では持統7 (693) 年正月の,記録上最初の踏歌以降,次第に朝廷の儀式用歌舞として恒例の行事となり,毎年男踏歌 (1月 14日) ,女踏歌 (同 16日) として行われた。男踏歌は早く永観1 (983) 年に絶えたとされ女踏歌だけが続いたが,中世には衰退した。現在では大阪住吉神社,名古屋熱田神宮,熊本阿蘇神社,茨城鹿島神宮などの踏歌神事がわずかに面影を伝えている。
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踏歌
とうか
阿良礼走(あらればしり)とも。雑令節日条に正月16日の節会(せちえ)として規定された,男女が足を踏みならして歌い舞う儀式。唐の民間行事である観灯会が日本に導入され,693年(持統7)を初見として定着し,のちに内教坊が主催した。祭が夜間に行われたため風紀上問題とされ,一時は民間の祭が禁止になった。平安中期に14日に男踏歌,16日に女踏歌が行われたが,男踏歌はのち廃絶した。
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普及版 字通
「踏歌」の読み・字形・画数・意味
【踏歌】とう(たふ)か
足拍子をつけて歌う民歌。唐・李白〔汪倫に贈る〕詩 李白、舟に乘りて將(まさ)に行かんと欲す 忽ち聞く、岸上、踏歌の聲字通「踏」の項目を見る。
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世界大百科事典(旧版)内の踏歌の言及
【踏歌の節会】より
…正月の祝儀として,天皇出席のもと,長寿を祝い,万民の豊年を祈って群集舞踏する[踏歌]を見る節会。中国の行事の渡来であり,中国では唐代,上元の15,16,17日に三夜踏歌を行う。…
※「踏歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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