寛平(889-898)ころ活躍した歌人。生没年不詳。六歌仙の一人。伝記は明白でない。猿丸大夫の子であるとか,陰陽師であったなどという話が没後まもなく発生している。大津市に黒主を祭神とする社があり,《無名抄》(鴨長明)に記されている(謡曲《志賀》にはこの神が和歌の神として姿をあらわす)。近江国滋賀郡大友郷出身で園城(おんじよう)寺(三井寺)の神祠別当であったらしい。《古今集》に4首,《後撰集》に3首が入集。《古今集》巻二十には〈近江のや鏡の山を立てたればかねてぞ見ゆる君が千年(ちとせ)は--これは今上(醍醐天皇)の御嘗(おほんべ)(大嘗祭)の近江の歌〉がある。《古今集》仮名序には〈大伴黒主はそのさまいやし。いはば薪をおへる山人の,花のかげに休めるが如し〉と評されている。謡曲《草子洗小町》には小野小町を貶(おとし)めんとして失敗する滑稽な悪人として描かれており,歌舞伎《六歌仙容彩(すがたのいろどり)》にも悪役として登場する。なお,《古今集》には大伴と記すが誤りと思われる。
執筆者:奥村 恒哉
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生没年未詳。平安前期の歌人。六歌仙の一人。弘文(こうぶん)天皇の末裔(まつえい)(『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじょううんろく)』)、猿丸大夫(さるまるだゆう)の第3子(『古今集目録』)などの諸説があるが、さだかでない。作品から近江(おうみ)在住の土豪的地方歌人と知られる。887年(仁和3)ごろ「中将御息所歌合(ちゅうじょうのみやすどころのうたあわせ)」に詠進、897年(寛平9)醍醐(だいご)天皇の大嘗会(だいじょうえ)に風俗歌(ふぞくうた)を奉り、また917年(延喜17)宇多(うだ)法皇の石山寺参詣(さんけい)のおり、打出(うちで)の浜で和歌を献じている。歌風については、紀貫之(きのつらゆき)が『古今集』仮名序で、「大友黒主はそのさまいやし。いはば薪(たきぎ)負へる山人の花の蔭(かげ)に休めるがごとし」と評している。能『志賀』は黒主をシテとし、『草子洗小町(そうしあらいこまち)』には小町を辱める悪役(ワキ)として登場する。
思ひいでて恋しきときは初雁(はつかり)のなきて渡ると人知るらめや(『古今集』恋4)
[犬養 廉]
(内田順子)
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生没年不詳。平安前期の歌人。六歌仙の1人。系譜についていくつかの所伝があるが疑わしい。近江国滋賀郡の豪族か。「古今集」仮名序では「大友黒主はそのさまいやし。いはば薪(たきぎ)負へる山人の,花の蔭に休めるがごとし」と評されている。「古今集」4首,「後撰集」3首を含め,勅撰集入集は11首。むしろ「古今集」序によって名が知られ,しだいに伝説化され,謡曲などにも登場した。
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…平安時代前期の女流歌人。生没年不詳。六歌仙,三十六歌仙の一人。出羽国の郡司良真の女。篁(たかむら)の孫,美材(よしき),好古(よしふる)らの従妹とされる。系図については諸説があるが,確かなことは不明。小町の名についても,宮中の局町に住んだことによるという説をはじめ諸説がある。王朝女流歌人の先駆者で,文屋康秀,凡河内躬恒,在原業平,安倍清行,小野貞樹,僧正遍昭らと歌の贈答をし,和歌の宮廷文学としての復興に参加した。…
…《万葉集》の後,和歌の道はまったくおとろえていたが,その時期に〈いにしへの事をも歌をも知れる人,よむ人多からず。……近き世にその名きこえたる人〉としてあげられた僧正遍昭,在原業平,文屋康秀,喜撰法師,小野小町,大友黒主,の6人のこと。序の筆者紀貫之より1世代前の人々で《古今集》前夜の代表的歌人として《古今集》時代の和歌の隆盛を導いた先駆者たちである。…
※「大友黒主」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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