大川平三郎(読み)おおかわへいざぶろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大川平三郎」の意味・わかりやすい解説

大川平三郎
おおかわへいざぶろう
(1860―1936)

日本の近代製紙業の先駆者的企業家武蔵(むさし)国川越藩(埼玉県)の藩士次男として生まれる。12歳のときに上京、伯父渋沢栄一書生となったが、生家困窮から学業断念、1875年(明治8)抄紙(しょうし)会社(王子製紙前身)に入社した。アメリカ留学後、副支配人、専務取締役となったが、98年に退社。その後、独立の製紙企業家として九州製紙、中央製紙、樺太(からふと)工業などを創立して、一時期には国内最大の製紙企業群を傘下に収めた。しかし、第一次世界大戦後に事業拠点であった樺太工業の経営が悪化し、1933年(昭和8)に王子製紙への吸収合併を余儀なくされた。

[四宮俊之]

『由井常彦他著『日本の企業家2 大正篇』(有斐閣新書)』


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大川平三郎」の解説

大川平三郎
おおかわへいざぶろう

1860.10.25~1936.12.30

明治~昭和前期の実業家。武蔵国入間郡生れ。1875年(明治8)抄紙会社(のち王子製紙)に入社し93年専務となるが,大株主三井と対立し98年退社。1913年(大正2)樺太工業を設立し,業界第3位に育てる。のち業界最大手の富士製紙の社長に就任。しかし両社が経営不振に陥り,33年(昭和8)に王子製紙に合併されると相談役に退いた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大川平三郎」の解説

大川平三郎 おおかわ-へいざぶろう

1860-1936 明治-昭和時代前期の実業家。
万延元年10月25日生まれ。明治8年縁戚の渋沢栄一が設立した抄紙会社(のちの王子製紙)にはいる。専務をへて,31年独立。九州製紙,樺太(からふと)工業などを設立,事業を拡大して大川財閥をつくりあげた。貴族院議員。昭和11年12月30日死去。77歳。武蔵(むさし)入間郡(埼玉県)出身。

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世界大百科事典(旧版)内の大川平三郎の言及

【王子製紙[株]】より

…しばらく経営不振が続いたが,西南戦争を契機とする新聞・雑誌の発展によって洋紙市場が形成されるにおよび,経営基盤が確立した。欧米のパルプ製造技術を学んだ大川平三郎(渋沢栄一の娘婿)の努力で,88年天竜川上流の気田に日本最初のパルプ工場(気田工場)建設に着手,90年完成した。93年に王子製紙(株)と社名を改めたが,このころには日本最大の製紙会社に成長していた。…

【紙・パルプ工業】より

…しかし製紙技術は欧米諸国に比べて低かった。そこで製紙技術を修得するため渋沢は王子製紙に就職した女婿の大川平三郎をアメリカに派遣し,大川は80年10月の帰国後直ちに稲わらパルプの製造に着手して成功した。84年には木材パルプ技術を修得するため再び欧米を訪れ,帰国後の88年,天竜川上流の気田に木材パルプ工場(王子製紙気田工場)の建設に着手,90年操業を開始した。…

※「大川平三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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