日本歴史地名大系 「大村神社」の解説
大村神社
おおむらじんじや
大村神社
おおむらじんじや
松浦廟宮先祖次第並本縁起によれば、大宰少弐であった広嗣は反乱を起こし、松浦の橘浦で死んだが、その後公卿の妖死するものが続いたので、吉備真備は勅により六尺弥勒仏像を造り、天平一七年(七四五)廟殿二宇を造り安置したのが神宮知識無怨寺であるという。「類聚三代格」の承和二年(八三五)の官符には「応令常住肥前国松浦郡弥勒知識寺僧五人事」とある。だが真備の造立したのは
無怨寺大明神別録によれば、広嗣は
大村神社
おおむらじんじや
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報