中海のほぼ中央にある島。北東にあり。天羽々鷲、掠り持ち飛燕来て、此の島に止まりき。故、
島と云ふ。今の人、猶誤りて栲島と号くるのみ」と記されている。「万葉集」巻七の雑歌に載る「未通女らが織る機の上を真櫛もちかかげ栲島波の間ゆ見ゆ」の
庄園公領制のもとで、どこの庄園・国衙領に所属していたのかは明らかでない。大内義隆が出雲尼子氏を攻めた際、大内氏の水軍は日本海を回航して中海に入り、尼子軍と大根島で戦っている。天文一一年(一五四二)九月一三日の冷泉隆豊頸注文状(閥閲録)に大根嶋とみえ、隆豊は同月五日の当島での分捕生捕人数として頸六つと虜一人を書上げて報告している。これに対し大内義隆は翌一〇月二日冷泉隆豊に感状を出し、また隆豊の家臣綱弥三郎に対しても同じ日に感状を与えている(ともに同書)。当島のもつ軍事戦略上の重要性に注目した毛利元就は出雲尼子氏攻めに際し、「
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島根県東端,中海中央部にある島。松江市の旧八束(やつか)町の主要部を占める。面積約5km2。北東にある江島をあわせた総称としても用いられる。中世,焼(たく)島とも呼ばれ,《出雲国風土記》には(たこ)島とあり,出雲郡の杵築御崎(きづきのみさき)にいたタコが天羽々鷲(あめのははわし)に捕らえられ,飛んできてここにおりたことにより,こう呼ばれるようになったという。中央の大塚山(42m)を中心に堅硬多孔質の玄武岩からなる台地状の低平な火山島で,〈島石〉と呼ばれる玄武岩は,石材として移出され,松江城築城にも用いられた。島の東端遅江(おそえ)には溶岩隧道(特天),第2溶岩隧道(天)がある。ヤクヨウニンジン,花卉,とくにボタンの産地として有名で,ボタンは島根県花ともなっている。また,西日本一帯への花卉の行商が多いことでも知られる。松江市大海崎鼻とは大海崎堤,江島とは馬渡堤で結ばれ,江島と境港市との間には中浦水門がある。
執筆者:池田 善昭
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島根県北東部の中海(なかうみ)に浮かぶ島。松江市八束(やつか)町の中心部をなす。面積4.89平方キロメートル。1981年(昭和56)松江市大海崎(おおみざき)との間に堤防道路が設けられ、バスも運行されるようになった。アスピーテ型の火山島で堅硬多孔質の玄武岩からなり、最高点は大塚山(42メートル)で、島全体は緩傾斜の台地性地形である。東部にある約200メートルの溶岩洞穴は幽鬼洞とよばれ、「溶岩隧道(ずいどう)」として特別天然記念物に指定されている。また竜渓洞とよばれる第二溶岩洞穴があり、これも国の天然記念物に指定されている。薬用ニンジンや県花のボタン栽培で知られる。
[飯田 光]
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