①は浮世又兵衛に始まると伝えられ、寛文頃(一六六一‐七三)から始まったといわれる。画題は、初めは仏画であったが、次第に戯画となり、鬼、座頭など種々の画材を用い、旅人の土産となった。また、昔から「まじない」に用いられ、その主なものは、( 1 )外法(げほう)大黒(無病長寿、小児の月代(さかやき)きらいを直す)、( 2 )雷(雷除け)、( 3 )鷹匠(五穀成就)、( 4 )藤娘(良縁)、( 5 )座頭(倒れない)、( 6 )鬼の念仏(夜泣きを直す)、( 7 )瓢箪鯰(ひょうたんなまず)(=水難除け)、( 8 )槍持奴(やりもちやっこ)(=道中安全)、( 9 )弁慶(火難除け)、( 10 )矢の根男(悪魔退治)など。
江戸時代に近江国(滋賀県)大津の追分あたりで売られた民衆絵画。追分絵とも呼ばれ,東海道を往来する旅人のみやげ物として全国にその名を知られた。発生の時期は明らかでないが,江戸時代もごく初期にまでさかのぼるらしい。文献の上では1661年(寛文1)に〈大津あはた口の扁(へん)にて売天神の御影〉(《似我蜂(じがばち)物語》)と記述されるのがもっとも早い。初めは〈天神〉や〈十三仏〉,〈青面金剛〉や〈来迎阿弥陀〉など,庶民日常の礼拝に供される仏画がすべてで,単なる鑑賞用のものではなかったが,元禄年間(1688-1704)を前後するころから世俗的な画題のものも登場してくるようになる。その世相風刺の寓意を宿したユーモラスな内容に,大津絵の人気はますます高まり,仏画は圧迫されて,ついには姿を消すようになる。戯画的な要素を強めた世俗画の画題もしだいに淘汰されて,俗謡〈大津絵節〉にうたい込まれた,下記の10種類にまで限定されるようになる。それは〈外法梯子剃(げほうはしごぞり)〉〈雷と太鼓〉〈鷹匠〉〈藤娘〉〈座頭と犬〉〈鬼の念仏〉〈瓢簞鯰(ひようたんなまず)〉〈槍持奴(やりもちやつこ)〉〈釣鐘弁慶〉〈矢の根五郎〉である。江戸時代後期になると,心学の流行を反映して教訓的な和歌(道歌(どうか))が画中に書き込まれるようになり,本来の闊達な明るさが損なわれる傾向をみせる。同時に,描法の形式化と画面の小型化も並行して進み,幕末から明治へ入るころ,実質的な展開をほとんどとめてしまう。
大津絵を特色づける表現の質は,熟練の筆さばきが生む速度のある太めの描線,明快でおおらかな彩色,それらが平明な主題と呼応して,くもりない明朗さと無邪気さを生んでいる点にあるだろう。ときには書表装(かきびようそう)を加えて,紙の地全体をそのまま安直な掛軸とするものもある。都会人が育てた江戸の浮世絵などの洗練された表現とは対極をなし,農村の健やかな土臭さをつねに失うことがなかった。日本の民画の代表といえよう。
執筆者:小林 忠
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江戸時代、近江(おうみ)国(滋賀県)大津の追分、三井寺の周辺で売られていた素朴な民芸的絵画。東海道を往来する旅人に手軽な土産物(みやげもの)として求められたもので、寓意(ぐうい)を込めたユーモラスな主題と速筆軽妙な略描が親しまれ、大津絵の名を全国的に広めた。その始源は寛永(かんえい)年間(1624~44)にさかのぼるといわれ、初めは十三仏や来迎仏(らいごうぶつ)、青面金剛など、民衆の持仏(じぶつ)となる仏画が描かれていた。のちには藤娘(ふじむすめ)、鬼の念仏、瓢箪鯰(ひょうたんなまず)、鷹匠(たかじょう)、奴(やっこ)など戯画的、風俗的な主題が一般的となり、手法も肉筆から版画へと移っていく。仏教や心学の教えを盛った道歌を図上に賛するなど教訓的となり、絵画表現も形式化を進めながら、その余命は明治以降にまでも及んでいる。
[小林 忠]
『柳宗悦著『初期大津絵』(1929・工政会出版部)』▽『日本民芸協会編『大津絵図録』(1960・三彩社)』
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…初めは〈天神〉や〈十三仏〉,〈青面金剛〉や〈来迎阿弥陀〉など,庶民日常の礼拝に供される仏画がすべてで,単なる鑑賞用のものではなかったが,元禄年間(1688‐1704)を前後するころから世俗的な画題のものも登場してくるようになる。その世相風刺の寓意を宿したユーモラスな内容に,大津絵の人気はますます高まり,仏画は圧迫されて,ついには姿を消すようになる。戯画的な要素を強めた世俗画の画題もしだいに淘汰されて,俗謡〈大津絵節〉にうたい込まれた,下記の10種類にまで限定されるようになる。…
…以前は〈大津の名物二上り〉といわれ,現在の滋賀県大津市がまだ宿場町であったころ,遊里柴屋町の妓女たちが歌いだしたのが初めといわれている。同地の土産として売られていた,災厄よけの一枚絵の画題をつづり合わせた内容が元歌で,流行とともに多くの替歌が作られ,略して〈大津絵〉ともいい,各地方に広く伝えられている。【舘野 善二】。…
…大津絵を題材とした所作事の総称。絵の中の人物・動物がぬけ出して踊るという形が多い。…
※「大津絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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