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大津絵 おおつえ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大津絵
おおつえ

江戸時代の民画で近江国大津追分近在の土地の人が描き,みやげ品として売ったため,大津絵または追分絵と呼ばれた。起源は不明。寛永期 (1624~44) 頃にはすでに存在し,元禄期 (88~1704) 頃特に流行。

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デジタル大辞泉の解説

おおつ‐え〔おほつヱ〕【大津絵】

江戸時代、大津の追分、三井寺の辺りで売られていた軽妙な筆致による民芸的な絵。
大津絵を題材にした舞踊。大津絵物。
大津絵節」の略。

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百科事典マイペディアの解説

大津絵【おおつえ】

江戸初頭より近江(おうみ)大津の追分あたりで売り出された民俗絵画のこと。追分絵とも。粗放な筆致や賦彩が素朴な味わいをかもし出す民芸品で,主題はほぼ一定し《鬼の念仏》《藤娘》《鷹匠》などの戯画と《阿弥陀三尊》《青面金剛》などの仏画に大別される。
→関連項目大津絵節藤娘

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世界大百科事典 第2版の解説

おおつえ【大津絵】

江戸時代に近江国(滋賀県)大津の追分あたりで売られた民衆絵画。追分絵とも呼ばれ,東海道を往来する旅人のみやげ物として全国にその名を知られた。発生の時期は明らかでないが,江戸時代もごく初期にまでさかのぼるらしい。文献の上では1661年(寛文1)に〈大津あはた口の扁(へん)にて売天神の御影〉(《似我蜂(じがばち)物語》)と記述されるのがもっとも早い。初めは〈天神〉や〈十三仏〉,〈青面金剛〉や〈来迎阿弥陀〉など,庶民日常の礼拝に供される仏画がすべてで,単なる鑑賞用のものではなかったが,元禄年間(1688‐1704)を前後するころから世俗的な画題のものも登場してくるようになる。

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大辞林 第三版の解説

おおつえ【大津絵】

元禄(1688~1704)頃、大津の追分おいわけ辺りで売り出されて流行した、仏像・民間信仰・伝説などを描いた絵。簡素な筆づかいで素朴な味わいがある。追分絵。
「大津絵節ぶし」の略。
歌舞伎舞踊。襖ふすま・掛軸から大津絵の人物が抜け出して踊るという趣向。現在も「藤娘」「座頭」「鎗奴」などが残る。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大津絵
おおつえ

江戸時代、近江(おうみ)国(滋賀県)大津の追分、三井寺の周辺で売られていた素朴な民芸的絵画。東海道を往来する旅人に手軽な土産物(みやげもの)として求められたもので、寓意(ぐうい)を込めたユーモラスな主題と速筆軽妙な略描が親しまれ、大津絵の名を全国的に広めた。その始源は寛永(かんえい)年間(1624~44)にさかのぼるといわれ、初めは十三仏や来迎仏(らいごうぶつ)、青面金剛など、民衆の持仏(じぶつ)となる仏画が描かれていた。のちには藤娘(ふじむすめ)、鬼の念仏、瓢箪鯰(ひょうたんなまず)、鷹匠(たかじょう)、奴(やっこ)など戯画的、風俗的な主題が一般的となり、手法も肉筆から版画へと移っていく。仏教や心学の教えを盛った道歌を図上に賛するなど教訓的となり、絵画表現も形式化を進めながら、その余命は明治以降にまでも及んでいる。[小林 忠]
『柳宗悦著『初期大津絵』(1929・工政会出版部) ▽日本民芸協会編『大津絵図録』(1960・三彩社)』

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世界大百科事典内の大津絵の言及

【瓢簞鯰】より

…振付4世西川扇蔵,藤間大助ほか。じゅばん一枚の男が瓢簞で鯰を押さえようとする大津絵から題材をとった作品。しゃれのめした新内風のクドキを語ったり,ひょうきんで陽気な踊りである。…

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