大湯環状列石(読み)オオユカンジョウレッセキ

デジタル大辞泉 「大湯環状列石」の意味・読み・例文・類語

おおゆ‐かんじょうれっせき〔おほゆクワンジヤウレツセキ〕【大湯環状列石】

秋田県北東部、鹿角かづの市にある縄文時代後期の遺跡。中心には万座まんざ野中堂のなかどうの二つの環状列石ストーンサークル)があり、そのまわりには多くの貯蔵穴や柱穴などが発見され、土器土偶も出土している。令和3年(2021)「北海道北東北縄文遺跡群」の一つとして世界遺産文化遺産)に登録された。

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精選版 日本国語大辞典 「大湯環状列石」の意味・読み・例文・類語

おおゆ‐かんじょうれっせきおほゆクヮンジャウレッセキ【大湯環状列石】

  1. 秋田県鹿角市にある遺跡。南の万座遺跡は直径四八メートル、北の野中堂遺跡は直径四五メートルの環状列石。出土の土器により縄文時代後期の遺跡と推定され、祭場説、墓地説などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大湯環状列石」の意味・わかりやすい解説

大湯環状列石
おおゆかんじょうれっせき

秋田県鹿角(かづの)市十和田大湯字野中堂(のなかどう)、万座(まんざ)にある縄文時代後期前葉の遺跡。遺跡は大湯川左岸の風張(かざはり)台地(標高170メートル)中央部に位置する。1931年(昭和6)耕地整理のとき発見されて以来、多くの学者によって調査されている。1951~1952年(昭和26~27)文化財保護委員会、秋田県教育委員会によって発掘調査され、その結果、野中堂、万座の二つの環状列石と竪穴(たてあな)住居跡などが発見された。二つの環状列石は約90メートルの距離をもって並び、両遺跡とも小単位の組石が集合して環状をなし、外帯、内帯の二重の同心円状をなすのが特徴である。大きさは、野中堂で外帯の径が40メートル、内帯が12メートル、万座で外帯が46メートル、内帯が18メートルである。また両遺跡には日時計遺構とよばれる配石遺構が独立して存在する。これは外帯と内帯の間にあり、中心から少し北西に位置している。

 環状列石を構成する小単位の組石は考古学者の後藤守一(しゅいち)(1888―1960)によって9型式に大別されている。組石の下には基本的に土壙(どこう)(土坑)があり、平面形は小判形が多く、ほかに円形のものもある。大きさは長径1~2メートル、短径0.6~1.5メートル、深さ0.7メートル前後である。土壙の長軸方向は北西をなすものが多い。このことから、祭祀(さいし)関係の遺跡とみるより墓地の一種とみる説が有力である。1975年前後の調査で野中堂、万座のほかに配石遺構が確認されている。1951年国の史跡に、1956年特別史跡に指定された。

[冨樫泰時]

世界遺産の登録

2021年(令和3)、大湯環状列石はユネスコ(国連教育科学文化機関)により「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。

[編集部 2022年1月21日]

『『大湯町環状列石』(1953・文化財保護委員会)』


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日本歴史地名大系 「大湯環状列石」の解説

大湯環状列石
おおゆかんじようれつせき

[現在地名]鹿角市十和田大湯

数種の組石群によって二重の環状に構成された縄文時代後期の遺跡。大湯中心部の南、大湯川に沿って北東から南西に延びる段丘群の最低位段丘上に位置。二ヵ所あり、地名をとって野中堂のなかどう遺跡・万座まんざ遺跡と称する。昭和六年(一九三一)発見。同二六―二七年に調査を実施した。国特別史跡。

環状列右は両遺跡ともに径四五―五〇メートルの外帯と径一〇―一五メートルの内帯からなり、外帯の配石群はともに三〇―三五基確認される。一個の配石に径二〇―三〇センチ、長さ七〇センチ前後の大湯河原石を一〇個前後使用し、環状に巡らす。

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改訂新版 世界大百科事典 「大湯環状列石」の意味・わかりやすい解説

大湯環状列石 (おおゆかんじょうれっせき)

秋田県鹿角市十和田大湯の,大湯川に沿った低い段丘上にある縄文時代後期の遺跡。1951,52年に文化財保護委員会が発掘調査を行い,56年に特別史跡に指定された。環状列石は2ヵ所あり,東のものを野中堂,西のものを万座と呼ぶ。ともに多数の小規模の組石遺構が二重の同心円状に配列されたもので,外帯の径は45~50m,内帯の径は10~15mある。環状列石を構成する組石遺構のなかでは,大きな立石を中心に放射状に石をならべた,〈日時計〉と呼ばれるものが有名で,野中堂と万座に1基ずつある。環状列石の性格については墓地説・祭祀跡説などがあるが,決定的でない。周辺からは縄文土器,土偶,石斧,石皿,石鏃などが出土し,万座では列石の外帯に接して住居跡も発見されている。なお,昭和51年(1976)度の分布調査では,野中堂の北約300mの地点にも径60mの環状列石があることや,それを構成する組石遺構の下には基本的には土壙が掘られていることがわかった。
ストーン・サークル
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国指定史跡ガイド 「大湯環状列石」の解説

おおゆかんじょうれっせき【大湯環状列石】


秋田県鹿角(かづの)市大湯にある縄文時代後期の配石遺跡。ストーンサークル、環状石籬(かんじょうせきり)ともよばれる。大湯川に沿った低い段丘上に約130mの距離をおいて東西に野中堂(のなかどう)と万座(まんざ)とよばれる2つの配石遺跡がある。両遺跡とも、河原石を菱形や円形に並べた組み石の集合体が外帯と内帯の2重の同心円状(環状)に配置され、外輪と内輪の中間帯に1本の立石を中心に細長い石を放射状に並べ、その外側を河原石で3重4重に囲んでいる。大きい方の万座遺跡の環状直径は46mあり、日本で最大級のストーンサークルである。組み石は大きいほうの万座で48基、野中堂は44基ある。それぞれの組み石の下に墓坑があることから共同墓地と考えられている。万座の周辺には掘立柱建物跡群が巡らされており、墓地に附属した葬送儀礼に関する施設ではないかと推測されている。1951年(昭和26)に国史跡、1956年(昭和31)には特別史跡に指定され、以後名称変更や追加指定が行われた。また、北東にある黒又山が大湯環状列石からきれいな三角形に見えることから、黒又山にも何らかの人工的配石遺構があるのではないかという推測もあり、その関連性を指摘する意見もある。JR花輪線鹿角花輪駅から秋北バス「環状列石前」下車、徒歩すぐ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大湯環状列石」の意味・わかりやすい解説

大湯環状列石
おおゆかんじょうれっせき

秋田県鹿角市の大湯川沿岸の台地上にある縄文時代後期の二つの環状列石(ストーンサークル)の総称。野中堂環状列石と万座環状列石があり,ともに河原石を大小さまざまな形に組み合わせた石組み遺構を,内外二重に,同心円状に配置している。野中堂の外径は最大約 44m,万座では約 52mである。それぞれの中心石とその北西にある日時計状組石は一直線上に置かれ,夏至の日没方向とほぼ一致する。環状列石の周囲には掘立柱建物や土坑墓,貯蔵穴などが同心円状に配され,土器や土版石棒石刀など祭祀・儀礼用の品々が多数出土したことから集団墓地であった可能性が高いと考えられている。1956年国の特別史跡に指定。2021年には「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として世界遺産の文化遺産に登録された。

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百科事典マイペディア 「大湯環状列石」の意味・わかりやすい解説

大湯環状列石【おおゆかんじょうれっせき】

秋田県鹿角(かづの)市大湯にある縄文(じょうもん)時代の遺跡。北の野中堂と南の万座に2基の環状列石がある。前者は外帯径42m,内帯径12m,幅4mあり,後者は外帯径46m,内帯径15m,幅4mある。両者とも環状に配置された組石遺構があり,地下に小判形の土坑が発見されているところから,祭祀(さいし)場跡と墓地の双方の役割を果たしていたとみられる。
→関連項目大湯[温泉]鹿角[市]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大湯環状列石」の解説

大湯環状列石
おおゆかんじょうれっせき

秋田県鹿角市十和田大湯にある縄文後期の遺跡。大湯川と豊真木沢にはさまれた台地中央部にある。1931年(昭和6)に野中堂(のなかどう)と万座の2カ所で環状列石が発見され,51・52年に発掘。小単位の配石が群をなして内外二重の同心円状に配されている。配石下には墓穴があり,特殊な共同墓地・祭祀場と考えられている。その後も周辺の調査が行われ,遺跡は約25ヘクタールに広がることが判明し,新たに弧状の列石,環状配石3基,竪穴住居群が発見された。万座環状列石では外側に掘立柱建物跡,さらにフラスコ状貯蔵穴がめぐっていることが明らかになった。国特別史跡。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大湯環状列石」の解説

大湯環状列石
おおゆかんじょうれっせき

秋田県鹿角 (かづの) 市十和田大湯にある,大小の石を環状に配列した縄文時代後期の遺跡
組石遺構が集合して帯状をなし,内外二重の環を形成したもの。野中堂,万座の2つの遺跡からなり,それぞれの環の外周は40mを超える。これまでの調査で,配石下に墓穴が確認され,組石は墓標と考えられている。

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