20世紀日本人名事典 「大町 桂月」の解説
大町 桂月
オオマチ ケイゲツ
明治期の詩人,随筆家,評論家
- 生年
- 明治2年1月24日(1869年)
- 没年
- 大正14(1925)年6月10日
- 出生地
- 土佐国高知北門筋(現・高知県高知市永国寺町)
- 本名
- 大町 芳衛(オオマチ ヨシエ)
- 学歴〔年〕
- 帝大文科大学(現・東大)国文科〔明治29年〕卒
- 経歴
- 一高在学時代、巌谷小波らを知り、落合直文、塩井雨江らと交わる。明治28年創刊の「帝国文学」に評論、美文、新体詩などを発表し、29年「美文韻文 花紅葉」を雨江、羽衣と共に著し注目をあびる。つづいて31年「美文韻文 黄菊白菊」を刊行。32年島根県の中学に赴任したが、33年博文館に招かれ上京、「太陽」「文芸倶楽部」などに文芸時評、評論、紀行文を執筆、硬派の評論家として高山樗牛と並び称された。この間の評論・随筆集に「文学小観」「日本文明史」「筆のしづく」「日本文章史」などがある。43年〜大正7年冨山房の雑誌「学生」を主宰、青少年の修養に尽力した。その後、「鎌倉文士」「伯爵後藤象次郎」など古今東西の傑物の評伝も多く記した。また生来の旅好きで、各地の山水探勝を重ねて多くの紀行文を発表し、「奥羽一周記」「行雲流水」「関東の山水」などの著書があり、紀行文の第一人者でもあった。「大町桂月全集」(全13巻)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報