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御用部屋 ごようべや

6件 の用語解説(御用部屋の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

御用部屋
ごようべや

江戸城における大老老中若年寄の詰所。ここで幕政の決議が行われた。最初は将軍の居室に近い「中の間」であったが,貞享1 (1684) 年8月,稲葉正休による大老堀田正俊の刺殺事件が起きてからは,将軍の居室から御用部屋を遠ざけた。

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デジタル大辞泉の解説

ごよう‐べや【御用部屋】

江戸城内で、大老老中若年寄が詰めて政務を執った部屋。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

御用部屋【ごようべや】

江戸城本丸内にあり,大老老中若年寄が常時詰めて幕政の協議と執務を行った部屋。初め将軍居室に近い〈中の間〉を当てたが,1684年大老堀田正俊が稲葉正休にここで刺されて後,少し離れた〈膳立(ぜんだて)の間〉に移された。

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世界大百科事典 第2版の解説

ごようべや【御用部屋】

江戸城本丸御殿で,大老・老中・若年寄が執務した部屋。初期は将軍御座間(ござのま)の近くにあったが,老中・若年寄の側近的性格が薄れた中期以降は,1684年(貞享1)大老堀田正俊の刺殺事件をきっかけに,将軍の日常生活空間である中奥(なかおく)から表に移された。大名家の江戸屋敷や藩庁でも,家老が執務する部屋を御用部屋といい,ここで処理された案件を右筆が記録したのが,いわゆる《御用部屋日記》である。【高木 昭作】

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大辞林 第三版の解説

ごようべや【御用部屋】

江戸時代、老中・若年寄が政務を執った、江戸城内の部屋。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

御用部屋
ごようべや

一般には江戸幕府の大老、老中、若年寄ら閣老の殿中における詰所(執務室)をいう。部屋は2局に分かれ、上之間(かみのま)には老中、下之間には若年寄が詰め、大老は上之間の入側上座に一画し、そこで執務した。5代将軍徳川綱吉(つなよし)の初政まで、閣老の詰所は奉行所(ぶぎょうしょ)と称し、奥の将軍の居室である御座之間の近室に置かれていた。しかるに、1684年(貞享1)奉行所の傍らで大老堀田正俊(まさとし)が若年寄稲葉正休(まさやす)に殺害されたのを契機にし、将軍の身に危険が及ぶのを恐れて、将軍側近の奉行所は廃止され、閣老の執務室は御座之間からはほど遠い膳立(ぜんだて)之間に移されて、そこを御用部屋と称するようになった。この結果、隔離された閣老と将軍との間には、政務の取次役として側用人(そばようにん)や側衆らが介在するようになり、いわゆる側近政治を生み出すことになった。ちなみに、御用部屋に出入りを許されたのは、閣老の秘書官たる性格をもつ奥右筆(おくゆうひつ)のみに限られ、諸役人の入室はいっさい禁止された。また諸藩のなかには、家老らの詰所を御用部屋とよぶところもあった。[北原章男]

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世界大百科事典内の御用部屋の言及

【御触書集成】より

高札(こうさつ)も御触書の一種と見てよい。御触書は老中,若年寄の合議体である御用部屋で方針を定め,奥右筆組頭が調査,起案し,将軍の裁可によって制定法となる。表右筆は書付(かきつけ)と称するその写しを作成し,支配の筋に応じて諸方面に配布した。…

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