一般には江戸幕府の大老、老中、若年寄ら閣老の殿中における詰所(執務室)をいう。部屋は2局に分かれ、上之間(かみのま)には老中、下之間には若年寄が詰め、大老は上之間の入側上座に一画し、そこで執務した。5代将軍徳川綱吉(つなよし)の初政まで、閣老の詰所は奉行所(ぶぎょうしょ)と称し、奥の将軍の居室である御座之間の近室に置かれていた。しかるに、1684年(貞享1)奉行所の傍らで大老堀田正俊(まさとし)が若年寄稲葉正休(まさやす)に殺害されたのを契機にし、将軍の身に危険が及ぶのを恐れて、将軍側近の奉行所は廃止され、閣老の執務室は御座之間からはほど遠い膳立(ぜんだて)之間に移されて、そこを御用部屋と称するようになった。この結果、隔離された閣老と将軍との間には、政務の取次役として側用人(そばようにん)や側衆らが介在するようになり、いわゆる側近政治を生み出すことになった。ちなみに、御用部屋に出入りを許されたのは、閣老の秘書官たる性格をもつ奥右筆(おくゆうひつ)のみに限られ、諸役人の入室はいっさい禁止された。また諸藩のなかには、家老らの詰所を御用部屋とよぶところもあった。
[北原章男]
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…高札(こうさつ)も御触書の一種と見てよい。御触書は老中,若年寄の合議体である御用部屋で方針を定め,奥右筆組頭が調査,起案し,将軍の裁可によって制定法となる。表右筆は書付(かきつけ)と称するその写しを作成し,支配の筋に応じて諸方面に配布した。…
※「御用部屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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