幕末の江戸幕府の役職。1862年(文久2)初頭から,京都での勢力を強めた薩摩・長州・土佐3藩の尊王攘夷派は,朝廷を動かして幕府を攘夷の立場に立たせようとした。この結果,5月,攘夷貫徹のための幕政改革の一環として,一橋慶喜を将軍後見職に,松平慶永を大老に登用せよとの勅諚が出た。勅使大原重徳は島津久光の兵を伴って江戸へ下り,幕府に勅諚を伝えた。幕府はこれを受けいれ,7月,松平慶永を政事総裁職に任じた。大老と老中は譜代大名が就任する慣例であったので,家門である慶永を幕政に参与させるためこの職が新設されたのである。慶永は63年3月罷免され,同年10月から64年(元治1)6月まで川越藩主松平直克が就任した。
執筆者:小野 正雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
幕末期の江戸幕府の役職。桜田門外の変後,一橋派は活動を活発化し,鹿児島藩の公武合体運動と呼応した。1862年(文久2)4月,幕府は安政の大獄に関係した旧一橋派諸侯を許し,朝廷の要請をうけて5月7日松平慶永(よしなが)に幕政参与を命じ,7月9日政事総裁職に任じた。大老相当職だが,家門大名のためこの職を新設。慶永は将軍後見職となった徳川慶喜(よしのぶ)とともに文久の改革を行った。63年2月には上洛して公武合体運動を推進したが,尊攘運動の激化により辞表を提出して帰国,3月25日罷免。10月11日川越藩主松平直克(なおかつ)が同職に任命されて64年(元治元)6月まで在職,以後廃職。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
1862年(文久2)創設された江戸幕府の職名で大老に相当。坂下門外の変後、雄藩による幕政改革運動が活発化し、勅使大原重徳(しげとみ)を擁した島津久光(ひさみつ)は、一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)を将軍後見職に、松平慶永(よしなが)を政事総裁職に就任させることを建言、7月9日実現をみた。これまで譜代(ふだい)大名出身の老中の手に握られていた幕政に親藩の慶喜(水戸)、慶永(福井)が参加したことは雄藩の発言権の増大を意味する。政事総裁職は慶永の辞任後、川越(かわごえ)藩主松平直克(なおかつ)が64年(元治1)6月22日まで在任、以後廃止された。
[山口宗之]
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