日本歴史地名大系 「大辺路」の解説
大辺路
おおへじ
- 和歌山県:総論
- 大辺路
紀伊半島の海岸に沿って走るのが大辺路(「おおへち」ともいう)である。田辺から新宮に至る熊野街道を一般にいうが、ここでは田辺以北、新宮以東も考慮して述べる。
辺路は「今昔物語集」巻三一第一四話に「四国ノ辺地ト云ハ伊予・讃岐・阿波・土佐ノ海辺ノ廻也」、「梁塵秘抄」に「われらが修行せし様は 忍辱袈裟をば肩に掛け また笈を負ひ 衣はいつとなくしほたれて 四国の辺地をぞ常に踏む」と、四国の辺路がみえ、海辺の路を周廻することであった。きわめて古代的な修行法で、海のかなたの他界である常世または補陀落浄土を信仰対象にし、海辺の巨巌から島嶼を行道旋遶しながら半島や島全体を巡ったものと推定される。したがって山中に入った路を辺路ということは成立たないけれども、紀伊の辺路修行が熊野三山巡りに置換えられた段階で、山中の修行路を中辺路とよび、海岸線を回る辺路は本来のものとして大辺路とよばれたと推定される。
そこで辺路と王子の関係であるが、これを必然的なものとみれば、いわゆる熊野九十九王子以外にも王子がみられ、藤代から田辺までのように多くは海岸沿いにある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報