日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤代」の意味・わかりやすい解説
藤代
ふじしろ
茨城県南部、北相馬郡(きたそうまぐん)にあった旧町名(藤代町(まち))。現在は取手市(とりでし)の北東部を占める地域。1955年(昭和30)相馬町と六郷(ろくごう)、山王(さんのう)の2村および高須(たかす)、久賀(くが)2村の各一部が合併して藤代町と改称。2005年(平成17)取手市に編入。旧町域は小貝(こかい)川下流にあり牛久沼(うしくぬま)に接する低湿地帯で、しばしば大洪水の被害を受けた。農家は水塚(みづか)をもっている。JR常磐(じょうばん)線、国道6号が通じる。水戸街道の宿場町が中心で、藤代宿―取手宿間の本道は水害が多いため、3本もの回り道も用意された。水田は耕地面積の90%以上もあり、米作地帯をなす。堤防、排水機場など治水事業が完成し、住宅地造成と東京通勤者が増加し、1986年に人口3万を超えた。岡(おか)の大日山古墳は県指定史跡。岡堰(おかぜき)は現つくばみらい市の福岡堰、龍ケ崎市の豊田堰と並ぶ小貝川三大堰の一つで伊奈忠治(いなただはる)の築造により、1630年(寛永7)完成し、桜の名所でもある。1996年(平成8)下流300メートルに可動式の新岡堰が完成した。
[櫻井明俊]