改訂新版 世界大百科事典 「天伯原」の意味・わかりやすい解説
天伯原 (てんぱくはら)
愛知県南東部,渥美半島の基部に分布する洪積台地。天伯原台地ともいう。豊橋平野の南部をなす豊橋台地の高位面にあたり,さらに台地の分水界付近の標高50~80m付近に継続的に分布する狭い面と,北斜面の標高23~45m付近に分布する面とに分けられる。前者は天伯原礫層と呼ばれる暗色硬砂岩,チャート,黒色ケツ岩など径1~3cmの円礫・亜円礫層(層厚約6m)からなる。後者は更新統に属する砂礫層を主とするが,標高26m付近より低い地域では砂質粘土層の比率が高まる。全般的に遠州灘に面する側が高く,三河湾に向かって緩傾斜している。海岸部には直線状に延々と続く海食崖が形成されているが,砂礫質のため雨水,波浪の浸食を受けやすい。天伯原は日露戦争中に豊橋市に誘致された第15師団の演習場となり,第2次大戦時まで陸軍用地として利用されてきた。戦後,農地として開墾され,天伯原,二川,栄,野依(のより),大清水などの開拓村ができたが,乏水性の台地のため干ばつの常襲地になっていた。1968年に豊川用水が通じ,一大畑作地帯に生まれかわった。台地南端崖上は雄大な景観に恵まれ,気候も温暖なため観光レクリエーション地域となり,伊古部付近に野外教育センター,少年自然の家などが建設され,別荘団地も造成されている。
執筆者:溝口 常俊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報