天文法華の乱(読み)テンブンホッケノラン

デジタル大辞泉 「天文法華の乱」の意味・読み・例文・類語

てんぶんほっけ‐の‐らん【天文法華の乱】

天文5年(1536)比叡山延暦寺衆徒が宗教問答を契機京都法華一揆対立し、洛中洛外日蓮宗21寺を襲った事件。天文法乱。

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精選版 日本国語大辞典 「天文法華の乱」の意味・読み・例文・類語

てんぶんほっけ‐の‐らん【天文法華の乱】

  1. 天文五年(一五三六)、延暦寺の衆徒が京都の日蓮宗徒を襲撃した事件。京都の町衆を中心とした法華一揆は天文の初めから盛んであったが、この年比叡山の僧と日蓮宗徒との対立が激化山門側が洛中洛外の日蓮宗二一か寺を襲撃して破却した。このためその後数年間、日蓮宗は洛中では禁教の状態におかれた。天文法乱。てんもんほっけのらん。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「天文法華の乱」の解説

天文法華の乱
てんぶんほっけのらん

1536年(天文5)山門(延暦寺)衆徒と六角氏を中心とする軍勢が京都町衆の法華宗徒を攻撃し,京都から追放した事件。法華宗は15世紀後期から京都住民のなかで勢力をのばし,32年には細川・六角・木沢諸氏らの軍勢とともに一向一揆と戦って山科本願寺を焼打し,京都市中で自検断を行うなど一大勢力となった。36年3月の比叡山僧侶と一法華宗徒との宗論をきっかけに山門と対立,山門は法華宗攻撃を決議し,幕府朝廷に訴え,園城寺・興福寺・東寺・高野山根来寺など諸国寺院,また越前国朝倉氏らに合力を求めた。7月に山門・六角氏・園城寺らの軍勢が出動,法華宗側は大敗し,法華宗二十一本山は滅亡,宗徒は京都を追放され,42年に還住を許された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天文法華の乱」の意味・わかりやすい解説

天文法華の乱
てんもんほっけのらん

天文5 (1536) 年7月に山門延暦寺の衆徒が京都法華宗徒を武力で洛外へ追放した事件。室町時代,京都の武家,商工業者の間に法華宗が広まった。天文初年頃から法華一揆を結成し,細川清元とともに一向一揆とも戦い,山門をしのぐ宗勢となった。同5年2月頃から両者の間に宗論が起り,説法中の山門僧を法華宗徒が論破したことから争いとなり,山門は園城寺,東寺,祇園社,興福寺などに援助を求め,6万とも 15万ともいう勢いで2万余の法華一揆と対立した。戦いは一時法華側が有利であったが,六角氏をも相手としたため,次第に押され,洛中洛外の拠点 21ヵ寺を焼かれ堺に退去した。以後同 11年 11月に勅許が下るまで洛中での法華宗は禁教状態であった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「天文法華の乱」の解説

天文法華の乱
てんぶんほっけのらん

室町後期,延暦寺僧徒が京都の法華信徒を襲撃した事件
1532年一向一揆が畿内に波及すると,法華信徒は細川晴元とともに山科本願寺を焼打ちし,その後5年間にわたり京都市内の法華宗寺院を拠点として市内を自主的に管理していた。これに対し日蓮宗徒が比叡山西塔の僧の説法を論破したのを一因として '36(天文5)年延暦寺僧徒が襲撃し,21の寺が焼かれ,一揆衆は潰滅し,以後 '42年まで京都では日蓮宗は禁教状態に置かれた。

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改訂新版 世界大百科事典 「天文法華の乱」の意味・わかりやすい解説

天文法華の乱 (てんぶんほっけのらん)

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百科事典マイペディア 「天文法華の乱」の意味・わかりやすい解説

天文法華の乱【てんぶんほっけのらん】

法華一揆

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世界大百科事典(旧版)内の天文法華の乱の言及

【宗論】より

… のちに日蓮宗(法華宗)が謗法折伏(ほうぼうしやくぶく)を標榜して台頭してくると,中世後期の宗論は,日蓮宗と他宗との宗論が中心となった。1338年(延元3∥暦応1)備後の守護屋形で対決した本願寺存覚と日蓮宗の宗論,1501年(文亀1)管領細川政元の命で京都で行われた日蓮宗と浄土宗の宗論(文亀宗論),1536年(天文5)天文法華の乱の起因となる叡山の僧と1人の日蓮宗信者との間で争われた〈松本問答〉,75年(天正3)ごろ,阿波一国を皆法華に改宗させようとして三好長治の命で行われた日蓮宗と真言宗の宗論,79年(天正7)織田信長が安土城下の浄厳院(じようごんいん)で浄土宗の玉念らと日蓮宗の日珖(につこう)らを対決させた〈安土宗論〉,1608年(慶長13)江戸城中の家康の面前で行われた浄土宗源誉らと日蓮宗日経らによる〈慶長宗論(江戸宗論)〉などは,その社会的影響にはかりしれないものがあった。以上のうち,大原談義,文亀宗論,安土宗論,慶長宗論を,ときに〈日本四箇度宗論〉という。…

【法華一揆】より

…実力で都市の自衛に成功した法華一揆は,有力町衆を中心に団結し,年貢や地子銭の免除や半済(はんぜい)をかちとり,また町の検断権の一部も掌握して町衆の自治運動を高めた。だが1536年(天文5)山門を中心とする荘園領主や守護勢力と衝突し,京都日蓮宗二十一本山すべてが焼打ちされた(天文法華の乱)。ここに京都日蓮宗の黄金時代は終わり,また法華一揆も終息した。…

※「天文法華の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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