天文法華の乱(読み)てんもんほっけのらん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

天文法華の乱
てんもんほっけのらん

天文5 (1536) 年7月に山門延暦寺の衆徒が京都法華宗徒を武力で洛外へ追放した事件。室町時代,京都の武家,商工業者の間に法華宗が広まった。天文初年頃から法華一揆を結成し,細川清元とともに一向一揆とも戦い,山門をしのぐ宗勢となった。同5年2月頃から両者の間に宗論が起り,説法中の山門僧を法華宗徒が論破したことから争いとなり,山門は園城寺,東寺,祇園社,興福寺などに援助を求め,6万とも 15万ともいう勢いで2万余の法華一揆と対立した。戦いは一時法華側が有利であったが,六角氏をも相手としたため,次第に押され,洛中洛外の拠点 21ヵ寺を焼かれ堺に退去した。以後同 11年 11月に勅許が下るまで洛中での法華宗は禁教状態であった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

大辞林 第三版の解説

てんぶんほっけのらん【天文法華の乱】

1536年(天文5)、延暦寺の宗徒が京都の日蓮宗寺院二一寺を襲撃破却した事件。京都町衆を中心とする日蓮宗徒は一向一揆や土一揆に対抗して法華一揆を起こし、京都で大きな影響力をもって、山門との間に天文初年から対立・葛藤が続いていた。これが宗門論争を機に爆発し武力衝突にまで発展した。この乱により1542年まで日蓮宗は京都で禁教とされた。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内の天文法華の乱の言及

【宗論】より

… のちに日蓮宗(法華宗)が謗法折伏(ほうぼうしやくぶく)を標榜して台頭してくると,中世後期の宗論は,日蓮宗と他宗との宗論が中心となった。1338年(延元3∥暦応1)備後の守護屋形で対決した本願寺存覚と日蓮宗の宗論,1501年(文亀1)管領細川政元の命で京都で行われた日蓮宗と浄土宗の宗論(文亀宗論),1536年(天文5)天文法華の乱の起因となる叡山の僧と1人の日蓮宗信者との間で争われた〈松本問答〉,75年(天正3)ごろ,阿波一国を皆法華に改宗させようとして三好長治の命で行われた日蓮宗と真言宗の宗論,79年(天正7)織田信長が安土城下の浄厳院(じようごんいん)で浄土宗の玉念らと日蓮宗の日珖(につこう)らを対決させた〈安土宗論〉,1608年(慶長13)江戸城中の家康の面前で行われた浄土宗源誉らと日蓮宗日経らによる〈慶長宗論(江戸宗論)〉などは,その社会的影響にはかりしれないものがあった。以上のうち,大原談義,文亀宗論,安土宗論,慶長宗論を,ときに〈日本四箇度宗論〉という。…

【法華一揆】より

…実力で都市の自衛に成功した法華一揆は,有力町衆を中心に団結し,年貢や地子銭の免除や半済(はんぜい)をかちとり,また町の検断権の一部も掌握して町衆の自治運動を高めた。だが1536年(天文5)山門を中心とする荘園領主や守護勢力と衝突し,京都日蓮宗二十一本山すべてが焼打ちされた(天文法華の乱)。ここに京都日蓮宗の黄金時代は終わり,また法華一揆も終息した。…

※「天文法華の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

フェロー

イギリスではこの呼称は主として次の3つの場合をさす。 (1) 大学の特別研究員 研究費を与えられ,多くは教授,講師を兼ねる。 (2) 大学の評議員 卒業生から選ばれる。 (3) 学術団体の特別会員 普...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

天文法華の乱の関連情報