1536年(天文5)山門(延暦寺)衆徒と六角氏を中心とする軍勢が京都町衆の法華宗徒を攻撃し,京都から追放した事件。法華宗は15世紀後期から京都住民のなかで勢力をのばし,32年には細川・六角・木沢諸氏らの軍勢とともに一向一揆と戦って山科本願寺を焼打し,京都市中で自検断を行うなど一大勢力となった。36年3月の比叡山僧侶と一法華宗徒との宗論をきっかけに山門と対立,山門は法華宗攻撃を決議し,幕府・朝廷に訴え,園城寺・興福寺・東寺・高野山・根来寺など諸国寺院,また越前国朝倉氏らに合力を求めた。7月に山門・六角氏・園城寺らの軍勢が出動,法華宗側は大敗し,法華宗二十一本山は滅亡,宗徒は京都を追放され,42年に還住を許された。
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… のちに日蓮宗(法華宗)が謗法折伏(ほうぼうしやくぶく)を標榜して台頭してくると,中世後期の宗論は,日蓮宗と他宗との宗論が中心となった。1338年(延元3∥暦応1)備後の守護屋形で対決した本願寺存覚と日蓮宗の宗論,1501年(文亀1)管領細川政元の命で京都で行われた日蓮宗と浄土宗の宗論(文亀宗論),1536年(天文5)天文法華の乱の起因となる叡山の僧と1人の日蓮宗信者との間で争われた〈松本問答〉,75年(天正3)ごろ,阿波一国を皆法華に改宗させようとして三好長治の命で行われた日蓮宗と真言宗の宗論,79年(天正7)織田信長が安土城下の浄厳院(じようごんいん)で浄土宗の玉念らと日蓮宗の日珖(につこう)らを対決させた〈安土宗論〉,1608年(慶長13)江戸城中の家康の面前で行われた浄土宗源誉らと日蓮宗日経らによる〈慶長宗論(江戸宗論)〉などは,その社会的影響にはかりしれないものがあった。以上のうち,大原談義,文亀宗論,安土宗論,慶長宗論を,ときに〈日本四箇度宗論〉という。…
…実力で都市の自衛に成功した法華一揆は,有力町衆を中心に団結し,年貢や地子銭の免除や半済(はんぜい)をかちとり,また町の検断権の一部も掌握して町衆の自治運動を高めた。だが1536年(天文5)山門を中心とする荘園領主や守護勢力と衝突し,京都日蓮宗二十一本山すべてが焼打ちされた(天文法華の乱)。ここに京都日蓮宗の黄金時代は終わり,また法華一揆も終息した。…
※「天文法華の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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