太陽の塔(読み)タイヨウノトウ

知恵蔵の解説

太陽の塔

1970年大阪万国博覧会のテーマ館のシンボルとして建設された造形物。設計は岡本太郎による。博覧会終了後も大阪府吹田市の万博記念公園内にそのまま保存され、同公園の象徴として、また岡本太郎の代表作の一つとしても親しまれている。
太陽の塔は、「人類の進歩と調和」をテーマとする大阪万博のシンボルゾーン調和の広場のテーマ館として、母の塔、青春の塔、大屋根とともにつくられた。太陽の塔は過去・現在・未来を貫いて生成する万物のエネルギーの象徴として、また、同時に、生命の中心、祭りの中心を示すものとして位置づけられた。構造は鉄骨鉄筋コンクリート製の建造物で高さは約70メートル、基底部の直径は約20メートルで、胴中央部には左右それぞれに約25メートルの腕がのびる。全体は白色の地で正面には「赤いイナズマ」背面には「緑のコロナ」がガラスモザイクタイルで描かれる。頂部には直径約10メートルの金属製の「黄金の顔」を載せ、腕の付け根付近の正面に直径約12メートルの繊維強化プラスチック(FRP)製の「太陽の顔」がレリーフのように浮き上がり、裏面には信楽焼(しがらきやき)のタイル製で「黒い太陽」が取り付けられている。また、外から見えるこれら三つの顔に加えて、テーマ館の地下展示に高さ約3メートル、全長約11メートルのもう一つの顔「地底の太陽」があった。しかし「地底の太陽」は博覧会終了後の撤去作業に伴い行方が分からなくなった。太陽の塔の内部は空洞で、万博開催当時はテーマ館(博覧会終了後に撤去)の地下展示から太陽の塔の内部を通って空中展示に移動する動線となり、「生命の樹」と呼ばれる高さ約41メートルのモニュメントが設置されて、生命の進化の過程を示す展示空間としても機能した。博覧会終了後の内部は長く非公開だったが、万博公園を管理する日本万国博覧会記念機構が2003年に独立行政法人に移行したのを機に一部を限定公開する催しが行われ人気を博した。大阪万博40周年の記念行事として、10年に一般公開することが企画されたが、耐震基準を満たしていないことがわかって中止となった。その後、耐震補強工事が検討され、16年から内部の修復も合わせて再生事業が進められた。経年劣化が進んでいた「生命の樹」のほかに、行方不明の「地底の太陽」も修復・復元され、18年3月から一般公開が始まった。

(金谷俊秀 ライター/2018年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル大辞泉プラスの解説

太陽の塔

森見登美彦の小説。2003年、「太陽の塔/ピレネーの城」のタイトルで第15回日本ファンタジーノベル大賞に応募、大賞を受賞した著者のデビュー作。同年、現タイトルに改題して刊行

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

今日のキーワード

新華社

中華人民共和国の国営通信社。新華通訊社が正式名称。 1931年延安で創立され,48年北京に移り,現在は政府国務院新聞総署の管轄下にある。特に文化大革命以後は重要度が高まり,党と政府の発表はここを通じて...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

太陽の塔の関連情報