労働者が失業した場合に、一定期間の所得保障を行うことによって、労働者の生活を保障しようとする社会保険の一種である。失業保険制度では就業期間中に保険料を納付したことが失業給付の前提となるが、無拠出の失業手当制度を設けた国もある。資本主義社会では失業が長期間続くと労働者は生存の危機にさらされるため、失業保険や失業手当の制度がなければ、失業者はたとえ労働条件の劣悪な不安定な職であっても就労を強制されることになる。
[三富紀敬・伍賀一道]
19世紀なかばのイギリスでは、熟練労働者を組織した職業別労働組合(合同機械工組合)が相対的に高い賃金から組合費を拠出し、失業や疾病に備えて基金を設けた。しかし、女性や年少労働者などの不熟練労働者はこうした共済制度から排除されていた。19世紀末にかけて技術革新が進み、熟練労働者に依存する度合いが減少し、しだいに工場労働者のなかでは半熟練または不熟練労働者の比重が大きくなった。彼らは失業時の生活防衛手段を確保していなかったので、政府に対して失業時の生活保障制度を設けるように大規模な運動を行った。こうしたことを背景に1911年に国民保険法が成立、世界初の失業保険制度が設けられた。ただし、財政的理由により適用は建築、土木、造船、機械、製鉄、車両製造、製材の7部門に限定されていた。第一次世界大戦後のワイマール体制下のドイツでは、無拠出の失業手当制度が設けられた。1919年に創設されたILO(国際労働機関)は同年の第1回総会で「失業に関する条約」(第2号条約)と「失業に関する勧告」(第1号勧告)を採択し、各国で失業保険制度を設けることを求めた。こうした動きを背景にイタリア(1919)、オーストリア(1920)、ポーランド(1924)、ブルガリア(1925)、ドイツ(1927)、フランス(1930)、スウェーデン(1934)で相次いで失業保険制度が創設された。
[三富紀敬・伍賀一道]
日本ではILO「失業に関する条約」を1922年(大正11)に批准し、憲政会は同年の帝国議会に失業保険法案を上程したが審議未了に終わった。1934年(昭和9)には失業保険制度の実施についてILOの勧告を受けたが、その成立は第二次世界大戦後まで持ち越された。敗戦後、大量失業と国民的窮乏が広がるなか、1947年12月に失業保険法が制定され、同年11月にさかのぼって実施された。当初、健康保険法の強制適用事業場の労働者を被保険者とし、日雇労働者、サービス業・建設業労働者などは適用除外とされた。このため、制定当時大量に存在した失業者の所得保障にはほとんど効力をもたなかった。その後1955年には、失業給付の一律支給を変更して、保険期間の長短による支給期間の4段階制が導入された。さらに1960年には、公共職業安定所の専断による個別的給付の延長措置と、これに伴う支給期間の差別化が始まった。なお、1949年に日雇労働者を対象とする日雇失業保険制度が別に定められている。
1960年代中葉以降は、失業給付の受給者に対する就職斡旋(あっせん)が行政指導によって強められた。公共職業安定所が不適当と認める求職条件に固執する失業者などを「労働の意思および能力のない」者と推断して受給資格の決定を行わないという方法がとられた。1966年に制定された雇用対策法(昭和41年法律第132号)は、就職指導手当をはじめ広域求職活動費、移転資金などからなる職業転換給付金制度を設け、失業者の長期滞留の防止と低賃金での労働力の再配置を進めるための制度上の裏づけとした。
[三富紀敬・伍賀一道]
1974年に失業保険法にかわって雇用保険法(昭和49年法律第116号)が制定された(1975年4月に施行)。雇用保険は従業員5人未満の農林水産業の個人経営を除くすべての事業所に強制適用された。被保険者となる労働者は1週間の所定労働時間が20時間以上で、雇用期間が1年を超えること、および年間賃金総額が90万円以上あると見込まれる場合とされた。「90万円以上」という規定は2001年(平成13)4月より撤廃、また2010年4月より雇用期間は「31日以上雇用されることが見込まれること」に変更された。
失業給付の所定給付日数は、当初、被保険者期間が1年未満の場合には一律90日とされたのをはじめ、これが1年以上の場合には年齢別に30歳未満90日、30歳以上45歳未満180日、45歳以上55歳未満240日、55歳以上300日と定められた。その後、保険加入期間および離職理由によって給付日数に差が設けられたが、失業給付の所定給付日数は西欧諸国に比べ全体として短い。これは、日本の失業給付額が、欧米諸国で制度化されているような最低生活保障の原則を欠いていることと相まって、失業者に就労を迫る要因となっている。ILOのデータによれば(The Financial and Economic Crisis; A Decent Work Response, 2009)、日本の失業者のなかで失業給付を受給していない者の比率は77%(2006年)に達する。ちなみにドイツ6%(2008年)、フランス20%(同)、アメリカ59%(同)、カナダ56%(同)、イギリス45%(同)、中国84%(2005年)である。
かつての失業保険制度にはみられない雇用保険の特徴は、使用者に対する種々の助成金給付制度を設けたことである。たとえば、企業が不況などを理由に操業短縮する際、事業主が労働者に支給することを義務づけられている休業手当の一部を事業主に対して助成する制度(雇用調整給付金、後に雇用調整助成金に名称変更)を新たに設けた。当初、助成金制度は雇用三事業(雇用改善事業、能力開発事業、雇用福祉事業)として始まったが、その後、企業の雇用維持または雇用拡大を目的に事業内容は多様化した。たとえば、高年齢者雇用開発特別奨励金(65歳以上の離職者を一定時間以上、1年以上雇用する労働者として雇い入れた場合、賃金の一部を助成)、試行雇用奨励金(職業経験、技能、知識などの面で就職が困難な求職者を試行的に雇用した場合に助成)、キャリア形成促進助成金(労働者に対して職業訓練を実施する場合に賃金および訓練経費の一部を助成)などがある。
[伍賀一道・三富紀敬]
『林迪廣他著『雇用保障法研究序説』(1975・法律文化社)』▽『大木一訓他著『現代雇用問題と労働組合』(1978・労働旬報社)』▽『三好正巳編著『現代日本の労働政策』(1985・青木書店)』▽『労働省職業安定局編著『雇用保険の実務手引』(1997・労務行政研究所)』▽『厚生労働省職業安定局雇用保険課編『雇用保険法便覧』(2003・雇用問題研究会)』
労働者が失業した場合に,その所得保障を行うことを主目的とする社会保険。資本主義経済において不可避的に発生する失業は,賃金労働にもっぱら依存する労働者にとって,生活を脅かす主要な社会的危険の一つである。それに対して保険技術を利用して備える試みは労働組合によって行われたが,これに都市が補助する制度が,1901年ベルギーのヘントで始められた。強制的国家保険としての失業保険が世界で初めて成立したのは,11年イギリスにおいてである。イギリス国民保険法に規定されたこの失業保険は,最初失業危険の大きい産業部門のみを対象とした。その後適用範囲が広げられ,農業労働者を含む全労働者が適用対象となった。イギリスでは失業保険が疾病保険とは同時,年金保険よりは早く実現したが,世界で最初に社会保険が創設されたドイツでは,失業保険は他の保険に後れて27年に成立した。日本で失業保険が創設されたのは,さらにその20年後の47年である。フランスには今日でも法定の失業保険はなく,その代り労使間の全国協定によって作られた失業保険があって,それがすべての商工業部門に強制適用される。
失業保険は労働権と生存権の保障を目的とするが,社会保険という制度の制約があり,単独では十分目的を達成しきれない。失業保険の効果を高めるためには,雇用政策や経済政策によって雇用水準の向上,維持と雇用の安定化が図られ,他の扶助制度によって補完されることが必要である。失業は一般に摩擦的失業,循環的失業,構造的失業に分けられ,さらに季節的失業を区分することもできる。これら異なる失業形態には,その発生原因に応じた適切な政策が用意されなければならない。失業保険の枠のなかでこれらさまざまな失業に対応できる可能性にはおのずから限度があるが,最近は伝統的な失業時の所得保障給付のほかにも給付の種類をふやして,積極的に再就職を促進したり,労働力の流動性を高めることを目指している。日本の失業保険が1974年に雇用保険に切り換えられたのは,このような動きを反映したものであり,失業者に対する直接給付のほかに,失業の予防,雇用構造の改善,雇用の増大などを目的とした事業主に対する給付金制度も取り入れられた。西ドイツでは,1969年に現在の雇用促進法が制定されて同じような事業を行っており,失業保険と失業扶助がそのなかに位置づけられている。
失業保険のもっとも中心的な事業は,今日でも依然として失業者に対する所得保障給付である。被保険者が離職して労働の意思と能力があり,かつ一定の被保険者期間があれば,公共職業紹介機関に登録して受給資格がえられる。給付額は一般に離職前の賃金を基礎にして決められることが多いが,家族数によって増額されたり,低所得者ほど給付率を高くする例もある。給付期間には必ず最高限度が設けられている。300日程度,すなわち事実上1年間とする例が多い。しかし,年齢などによって差をつけたり,条件によって延長給付を認める国も少なくない。給付期限を超えて失業が長期化した場合の最低生活の保障は,政府の一般財源によって賄われる失業扶助や一般的な公的扶助によらなければならない。失業中の所得保障給付以外の給付の例としては,職業訓練中の生活保障給付,就職のための移転費用,就職支度費用,求職活動の費用などがあげられる。そのほか,事業主に対して雇用事業を助成,補助するための給付金制度の例があることは上記のとおりである。
失業保険の財源は,他の社会保険と同様,被保険者と事業主によって分担される拠出金(保険料)と,政府の負担金や補助金によって賄われるのがもっとも一般的なかたちである。アメリカの大部分の州保険は被保険者負担がない。拠出料率は被保険者に対する支払賃金の定率として決められるのが普通である。その場合,すべての産業を通じて同一の料率を適用する統一料率制と,失業発生率によって料率に差を設けるメリット料率(経験料率)制が区別される。後者の例としてはアメリカの失業保険が有名であるが,大部分は統一料率制をとる。失業保険の実施機関には,政府直轄,政府・事業主・労働者の3者構成の代表機関をもつもの,事業主と労働者だけの2者構成の代表機関をもつものの三つの形態が区別される。それぞれイギリスと日本,ドイツ,フランスが該当する。
→雇用保険
執筆者:保坂 哲哉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…この時期の労働党政府の経済政策で注目すべきは,一つはベバリッジ報告の線にそう広範な社会保障計画と完全雇用維持政策によって,高度の福祉国家の建設を目指したことである。第1次大戦前からイギリスでは健康・失業保険,老齢年金,最低賃金など,ある程度の社会保障が実施されてきた。しかし第2次大戦後,それは〈ゆりかごから墓場まで〉のスローガンが示すように,いっそう広範囲に拡大されることになった。…
…これが先例となって多くの国で無拠出年金制度その他が生まれた。とくに世界恐慌下に多くの先進諸国において,失業保険給付を使い果たした失業者に対する救済方法の主要な一つとして,公費による失業扶助(たとえばイギリスで1935年開始)が制定され,それらの進展とともに社会扶助が注目を受けるようになった。そしてイギリスでは現在でも,日本の生活保護に匹敵する国民扶助national assistanceやそれを引き継いだ補足給付supplementary benefitなどを総括して社会扶助と呼んでいる。…
…社会保険が社会保障において中心的役割を果たしうるのはこれらの特色を備えていることによる。社会保険の種類は,疾病,出産を保険事故とする医療(疾病)保険,老齢,障害,生計中心者の死亡(遺族)についての年金保険,失業のための失業保険,業務(労働)災害と職業病を保険事故とする労災(災害)保険の4部門に大別できる。失業保険と労災保険は通常被用者だけを対象とするのに対して,医療保険と年金保険は全国民が対象となりうる。…
※「失業保険」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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