改訂新版 世界大百科事典 「雇用政策」の意味・わかりやすい解説
雇用政策 (こようせいさく)
19世紀までは,失業は性格上の欠陥,勤労意欲の欠如など,個人の道徳上の問題だとされていたので,失業による生活困窮者の救済は救貧法体系のなかで,救貧院への収容,労働テストの甘受を条件とするか,個別的治療の対象となるかで,それが特別にとり上げられることはなかった。
新古典派の雇用理論
20世紀になると,W.H.ベバリッジの《失業-産業の問題》(初版1909)が示すように,失業問題は産業上の問題としてとり上げられることになった。だが,この場合にも,労働市場の不完全性,すなわち労働の需要側・供給側の情報不足のために発生する摩擦失業,産業の性質上需要が季節的に変動するために生ずる季節的循環失業,経済動態の過程で起きる不況期における景気的循環失業がとり上げられ,失業対策として,求人・求職情報を集中しシステム化し労働市場を組織化し摩擦失業を減少させる職業紹介政策,および失業を保険事故とする保険的方法を採用し,失業が減少する時期における徴収保険料の余剰をもって失業多発時における失業者の喪失所得を補塡(ほてん)する失業保険制度が新たに提案された。
この認識は,次のような新古典派の雇用理論を前提としていた。資本設備,技術水準に変化がない短期において,財の市場が競争的であり,物価水準が貨幣数量説によって所与であることを前提にして,企業は利潤の極大を求め,家計は労働の供給による効用と労働に伴う負効用の差の極大を求めるように行動するとすると,労働需要曲線は収穫逓減のために,右下がりになり,労働供給曲線は労働の限界負効用逓増のために右上がりになり,両者の均衡点で実質賃金と雇用量が決定され,この場合資本設備の完全操業と労働の完全雇用の状態になる。このような均衡状態のもとでは,原則として現行の賃金で職を求めても得られない非自発的失業は発生しない。失業が発生するのは労働市場の不完全性のために発生する失業か資本設備や技術の変化によって均衡条件が変化する場合,これに適応する過程で発生する失業だけである。
ケインズ派の主張
ところが,両大戦間,とくに1929年世界恐慌以後,大量の失業が発生すると同時に,それが慢性化した。新古典派はこの要因を労働市場における労働組合の独占力,失業保険の下支えにより,実質賃金が均衡水準よりも高く維持されることに求めた。これに対して,J.M.ケインズの《雇用・利子および貨幣の一般理論》(1936)に代表されるケインズ派は,マクロ経済学の立場から,資本設備や技術水準が変化しない短期を前提にして,次のように主張した。労働供給は貨幣賃金の関数であり,貨幣賃金には下方硬直性があるので,不完全雇用の状態のもとでは,一定の貨幣賃金で雇用量が増加し物価水準が上昇し実質賃金が低下する,または逆であっても労働供給量が減少ないし増加しない範囲がある。所得水準を決定するのは有効需要すなわち消費需要プラス投資需要であるが,消費需要は所得の増大に比例しては増大せず,貯蓄が増大する。また投資需要は限界予想利潤率と利子率によって規定されるが,流動性選好利子論によって,利子率の低下には限界がある。そこで貯蓄と投資は必ずしも一致せず,有効需要不足による資本設備の不完全操業,および現在の貨幣賃金水準で職を求めていながら失業している非自発的失業が発生することになる。いいかえれば不完全雇用の状態での均衡が成立する。この考え方から導き出される政策は,(1)政府がなんらかの形で金融市場に介入し市場利子率を低下させ,限界予想利潤率を高めて投資需要を増大させる,(2)赤字財政によって政府投資を増大させる,(3)消費性向の高い低所得層に有利な所得再分配政策によって消費需要を高める,などである。とくに,(1)と(2)は乗数効果によって当初投資の乗数倍の所得増大をもたらす(〈乗数理論〉の項参照)。以上の政策によって,資本設備の操業度が高まり非自発的失業が減少し,ある点に達すると完全操業・完全雇用が実現する。これ以上に有効需要が増加するとすれば,需要超過によって,物価・賃金の高騰をもたらすことになる。この場合には,逆の政策が必要となる。
失業政策から雇用政策への転換
以上の失業に対する政策提案は自由放任経済のもとでの完全雇用を前提とし,労働市場における不完全性を除去し,および均衡過程に到達する間の調整過程で発生する失業者を事後的に救済する過去の政策とは,政府が財政金融政策(フィスカル・ポリシー)によって総有効需要を調整し,失業の減少,雇用の増大,維持を可能にすることを含意している点で基本的に違っており,失業政策から雇用政策への転換だといってよい。以上の意味での完全雇用の達成と維持を第2次大戦後の政府の政策目標とすべきであるとし,完全雇用政策の名を高からしめたのは,W.H.ベバリッジの〈自由社会における完全雇用〉(1944)と題する報告であり,大戦後先進工業国はいずれも完全雇用の達成を政府の経済社会政策の中心目標の一つに据えることになった。
失業率と物価上昇率間のトレードオフ関係
こうして,1950-60年代には,先進工業国では,世界的好況のせいもあって,完全雇用に近い状態が実現したといわれるが,この間物価水準が上昇し,雇用水準の維持という政策目標と物価安定という政策目標との間にトレードオフ(二律背反)の関係がみられ,注目されることになった。そこで,いま縦軸に物価上昇率をとり横軸に失業率をとると,両者の間には座標軸の交点に対して凹の負の非線型の曲線で表される関係があるとするフィリップス曲線をめぐって議論が展開されることになった。すなわち,高い失業率のもとでは,総需要増加政策によって,物価上昇を伴わずに失業率を低下させることができるが,それ以上になると,失業率の低下は物価上昇を伴い,しかも失業率低下に伴う物価上昇率は累進的に高くなり,失業率低下という政策目標と物価安定という政策目標が矛盾することになる。こうして,社会的に許容できる物価上昇率までは総需要増加政策によって失業率を低下させることは,失業率低下の利益が物価上昇の不利益より大きく,有効であるが,それ以上になると,両者の関係が急速に逆になる。つまり総需要増加政策による失業率の低下には限界があるということである。
構造的失業とそれに対する政策
ところで,この水準での失業者の中身をみると,産業構造上,技術上の変化が起きたために旧来の熟練が役立たなくなったために生じた技術的失業者,高齢になって体力が減退し持病があるために適職を見いだしにくい失業者,身体上の障害など労働市場でハンディキャップをもっているため就職困難な失業者,産業立地上の変化が起きたことが原因で不況地域となり失業が発生したが地域移動が困難なため停滞している失業者などである。これらは,産業上,職業上,産業立地上の変化の結果,労働需要の構造的変化が起きたにもかかわらず,失業者の年齢,性,資格要件など,労働供給の質的構造がこれに適合しないために生じた失業で,前述した有効需要増加政策によって吸収される需要不足失業と区別して構造的失業と呼ばれる。
これらの構造的失業者に対する政策としては,次の二つがある。第1は,技術的失業者,ハンディキャップをもった失業者に養成訓練,再訓練,転職訓練などの機会を与え,新しい熟練を付加して就職を容易にする,高齢者や身体障害者に対しては高齢者に適した職務を確保する,また高齢者・障害者の能力を活用できるような技術開発,設備投資,作業方法の開発,職場環境の整備など,広義の職務再設計により能力活用の方法を奨励する,不況地域失業者に対してはその地域の産業を振興し雇用機会を創出する,また失業者の地域移動を促進するために移転費用を補助したり移転地に住宅を確保する,などの方策をとることなどである。これらの政策は,一方で構造的失業者に就職可能な職務の再設計,創出を行い,他方で失業者の労働能力の開発を積極的に行うという意味で積極的雇用政策positive employment policyといわれ,また総需要調整政策や失業保険のようにすべての失業者を対象として一様に行われるものではなく,特定のニーズをもった失業者に対して行われるものであるから,前者の一般政策に対して特別政策または選択的雇用政策といわれる。このような積極的・選択的雇用政策は,先進工業国では国によって違いがあるが広く行われている。
第2は,積極的・選択的雇用政策の費用と比較してその効果が雇用増大の利益より小さい場合には,むしろこれらの失業者を社会保障政策の対象とし,労働市場の外に出したほうが望ましいとする政策である。いくつかの国で長期失業・病弱,年金の減額などを条件として,高齢失業者に年金の早期支給を認めているのはこの例である。以上の諸政策は理論的にはフィリップス曲線を左方にシフトさせる政策で,完全雇用下の失業水準は低められ,離職者が新しい職を探す期間,事業主が新しい労働者を見いだす期間に移動労働者数を乗じた摩擦失業水準にとどまることになる。以上の諸政策は一定の資本設備・技術水準のもとでの雇用政策で,これが変化する経済発展過程で生ずる景気循環による失業は,これを減少・緩和することはできても,なくすことはできない。そこで,望ましい完全雇用水準達成のための潜在実質経済成長率を探り,これに実際の経済成長率を合わせるような政策を求める考え方もある。
日本の雇用政策
日本で完全雇用政策が話題になりはじめたのは第2次大戦後であるが,〈戦後は終わった〉といわれた1955年の失業率は2.5%にすぎなかったが,52年失業対策審議会は〈潜在失業に関する調査報告書〉で就業者総数の29.9%が潜在失業者であると指摘し,57年第1回被保護者全国一斉調査は世帯保護率25.7‰,その中の過半数が世帯主が働いている世帯であることを示した。したがって失業対策も緊急失業対策事業(1955開始)が中心で,その就労者数が60年35万に達した。こういう状況のなかで,雇用審議会答申第2号は,〈完全雇用状態に達する前段階として,失業率が端的に失業ないし雇用の実勢をしめしうるような,したがって近代的雇用政策が有効に展開されるような就業状態に達することをもって,政策の目標とすべきである〉と答申し,失業政策から雇用政策への転換の端緒がつくられた。60年に始まったいわゆる所得倍増計画の一環として行われた労働力流動化政策は,急速な重化学工業化による経済成長によって,第1次産業,第2次,第3次産業の低生産性の小零細工場,商業,サービス業に滞留していた低所得不完全就業者を高生産性高所得の近代的部門に移動させる政策であった。この政策の成功のなかで,雇用情勢は急速に改善され,67年には有効求人倍率が1を超えることになり,日本でも完全雇用の状態に達したと騒がれた。このような状況を背景に,66年,雇用対策法が制定された。同法は,1条で〈国民経済の均衡ある発展と完全雇用の達成とに資することを目的とする〉と述べ,4条で,労働大臣が雇用審議会の意見を聴いて雇用対策基本計画案を作成し,この閣議決定を求め,国が完全雇用政策の具体的政策を定めることを義務づけた。以後,83年第5次雇用対策基本計画まで,経済審議会の経済計画と連係しながら5回にわたって計画が策定された。また,1958年駐留軍関係離職者等臨時措置法をはじめとして,石炭離職者,中高年求職者,身体障害者,不況産業・不況地域の離職者などの雇用促進に関する特別対策がとられてきた。71年中高年齢者等の雇用の促進に関する特別措置法付則2条によって,一般失業対策である緊急失業対策事業は現在就労している者のみに適用し,新たに適用しないこととし,失業対策事業は機能を停止することとなった。また,74年失業保険法が雇用保険法に改められ,同法によって通常の失業給付以外に事業主の拠出による基金によって雇用安定,雇用改善,能力開発,雇用福祉の4事業を行うことができることとなった。この4事業の多くは前述した特別対策に該当するもので,これを必要に応じて機動的,弾力的に行えるようにしたものである。
執筆者:氏原 正治郎
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