百科事典マイペディア 「飾磨津」の意味・わかりやすい解説
飾磨津【しかまづ】
→関連項目飾磨
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播磨国(兵庫県)飾東郡,船場川河口左岸にある港町で,町の東が入江となっている。古くは《万葉集》にみえる思賀麻江である。姫路藩主池田輝政はここを城下の外港として重視し,1601年(慶長6)入江に向島を建設し,船役所・船置場を置き,船手(ふなて)(水主(かこ))を配置した。09年には城の外堀から南へ飾磨入江に達する運河(三左衛門堀)を通じようとしたが失敗した。15年(元和1)本多忠政の代に船場川が改修されて,以後城下から飾磨御蔵まで舟運によって蔵米が下されるようになった。入江はなお水深が浅く,小舟の出入りしかできなかったが,1808年(文化5)藩の木綿専売が施行され,国産会所の設立,飾磨津からの江戸積みが開始され,その必要から1815-23年(文化12-文政6)入江の浚渫(しゆんせつ)と護岸工事がなされた。さらに45年(弘化2)港の南に開発された新田の地先に,新水路・波戸・湛保(たんポ)(入渠)を築く築港がなされた。浦手6町,岡手5町の町場であった。1940年飾磨市となったが,46年姫路市に合併。飾磨港も姫路港の一部をなす。
執筆者:八木 哲浩
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…それにともない交易市場や物資集散港が発達する。市では《明月記》にみえる〈志賀麻市〉つまり国府の外港飾磨津の市が知られ,佐用郷の市庭(いちば)も鎌倉時代から出てくる。港では大部荘外港の魚住泊が古く,法然の衆生結縁で有名な高砂浦や室津も古い。…
※「飾磨津」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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