

(賓)(ひん)。
は神を賓迎する礼を示す字であるから、嬪の初義は、神を迎え、神によりそう女をいうものであろう。〔説文〕十二下に「
するなり」と双声を以て解し、〔爾雅、釈親〕に「
なり」、また〔釈名、釈親属〕に「天子の妾に嬪
り。嬪は
なり。
妾の中、
せらるるなり」と妾御の意とする。天子に九嬪あり、のち女官の名に用いる。〔礼記、曲礼下〕に「生には
と曰ひ、母と曰ひ、妻と曰ふ。死には考と曰ひ、妣(ひ)と曰ひ、嬪と曰ふ」とあって、死者の美号とする。
▶・嬪人▶・嬪然▶・嬪則▶・嬪徳▶・嬪妃▶・嬪
▶・嬪儷▶出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
令(りょう)制の後宮において妃・夫人の下位を占める身位。三位(さんみ)以上の夫人に対し、四位・五位の者をあて、定員は4人とする。嬪の称は中国隋(ずい)唐の制に由来し、『日本書紀』にも数例みえるが、大宝(たいほう)令制定後は、文武(もんむ)天皇の後宮に紀竈門娘(きのかまどのいらつめ)、石川刀子娘(とねのいらつめ)の2人を数えるだけで、その後の実例は見当たらない。しかし養老(ようろう)令をはじめ、延喜式(えんぎしき)にもその待遇に関する規定が存するから、制度としては平安中期まで存続したことがわかる。
[橋本義彦]
和訓はミメといい,御妻を意味する。キサキの一つ。嬪の字は「周礼(しゅらい)」の九嬪に由来し,中国の唐制の影響がみられる。後宮職員令に妃・夫人・嬪の順に記され,定員は4人で五位以上とされた。実例は少なく,文武朝の紀竈門娘(きのかまどのいらつめ)と石川刀子娘(とすのいらつめ)だけが知られるが,2人とものちに嬪の号を奪われた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…
[中国]
天子が家庭生活を営む宮殿で,政務をつかさどる外朝とは機構的にも空間的にも区別されるのが原則であった。天子は皇后のほか多数の妃嬪(ひひん)を抱えたが,すべて後宮に住んだので,皇后以下を後宮とよぶことがある。《礼記(らいき)》昏義に,古代には皇后が六宮を建て,3夫人,9嬪,27世婦,81御妻をひきいて内治をつかさどり,婦徳を明らかにしたとあり,後世の後宮制度の規範となった。…
※「嬪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...