日本大百科全書(ニッポニカ) 「子守(歌舞伎舞踊)」の意味・わかりやすい解説
子守(歌舞伎舞踊)
こもり
歌舞伎(かぶき)舞踊。江戸の市中によくみられた子守女の風姿を描いたもので、多くの曲がつくられたが、ほとんどが廃曲になり、現代も流行するものに2曲がある。
(1)清元(きよもと)。鳶(とんび)に油揚(あぶらあげ)をさらわれた子守が追いかけて出るので、俗に「油揚子守」ともいうが、普通、単に「子守」といえばこれをさす。1823年(文政6)3月江戸・森田座で、岩井紫若(しじゃく)(7世半四郎)が初演した五変化『大和い手向五字(やまとがなたむけのいつもじ)』の一つで、増山金八作詞、清元斎兵衛作曲。五節供のうち七夕(たなばた)にあたる。越後(えちご)出の子守女が人形を並べてのクドキ、越後座頭の振(ふり)、綾竹(あやたけ)を使った新潟おけさなど。
(2)常磐津(ときわず)。通称「三つ面(めん)子守」。五変化『菊蝶東籬妓(はなにちょうまがきのうかれめ)』の一つで、1829年(文政12)9月、江戸・河原崎座で5世瀬川菊之丞(きくのじょう)が初演。津打(つうち)治兵衛作詞、名見崎徳治(なみざきとくじ)作曲、4世西川扇蔵振付け。子守が子供をあやすため、おかめ、蛭子(えびす)、外道(げどう)の三つの面をかぶり替えて踊ってみせるものである。
[松井俊諭]